彼らは、遅れている

 

晴れ。19度。

8時に起きる。

朝餉は、リンゴとバナナ、味噌汁(人参、カボチャ、玉ねぎ、煮干し、ネギ)、BLTサンドイッチ、アールグレイ、コーヒー。

岳父の庭のツツジが満開に。蜂が花を渡り、蝶が舞っている。空の高いところで、幼いトンビがカラスに追い立てられ、悲鳴のような声で啼いている。

久々にATOKを立ち上げる。入力しはじめてすぐ、二世代くらい逆行した気分になる。確定するためにスペースキーを打つことがまどろっこしく感じる。思考がそのたび断たれる。確定することを意識しはじめるともう先へは進めなかった。辞書をビックデータ化しても、入力エンジンが追いつけていないのだ。

クルマでいえば、レシプロからFCEVへとパラダイムが変換するダイナミズムがATOKには必要だ。さまざまな機能をメニュー化したプルダウンの見せ方が古臭さを象徴している。選択肢の9割がたは、導入時だけに必要な設定だと割り切れる。選択できることが、逆に言語から柔軟性を奪うという見切り。そういう在り方を模索してほしい。

昼餉は、ベーコンとほうれん草のパスタ。

10キロをジョグ。

女房は旧友たちと通夜へ。夜半に戻った。

夕餉は、カップのそば。

Windows10が纏っているどうしようもない古臭さは、選択肢の提示の仕方に知性を感じないからだ。なんでもできることをすべて掲示している。その網羅性が、時間を奪っていく。僕らが求めているのは、必要かどうか判断できない可能性を見せつけられることではなくて、ときどきで必要となる機能をその時に提示してくれることだろう。

電子機器の機能など、覚えるに値しない、まして身につけるほどのことではない。それが、暮らしにおけるウェイトというものだろう。

僕らの要求をわかっていないのは、彼らだけなのだ。

アンダーソン・パークの新しいアルバム『Ventura』がいい。

 

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