制度という瓦解

 

おおむね雨。16度。

8時に起きる。

朝餉は、バナナとリンゴ、きんぴらごぼう、味噌汁(人参、カボチャ、ほうれん草、豆腐、玉ねぎ、ネギ)、BLTサンドイッチ、アールグレイ。食後にコーヒーと饅頭。

天皇が即位。新聞に皇太子の頃の写真。盲目のランナーの伴走者として走っている姿、笑顔がいい。

女房の学友が今朝、癌で逝った。最後に見たは、去年の暮れ雪の日だった。ぎりぎりまで働いていた、立派な男だった。

女房は、偲んで旧友の家の集いへ。通夜は明日。

昼餉は抜き。

神話にまで遡ってしまう血筋を頭目として頂く。そのことの理不尽についてご本人の理性は何を囁くのだろう。留学の二年間が最良の日々と思い沈める人生は当人が望んでのことではない。

その恐ろしさとか、孕んでいる狂気について、ご本人が保とうと日々苦悶しているに違いない心の平静について僕らは露ほども想像できない。祭り上げられることの、現代におけるまともな理路を見つけることは並大抵のことではない。

言い方は間違っているかもしれないが、ある種の人身御供を僕らは制度として法律にうたっている。社会とは、その制度そのものが人身御供を必要とする狂気を孕んでいる。それを肝に銘じよ、と皇統は喚起し続けているような気がしてならない。

夕餉は、ごぼうとこんにゃくの甘辛煮、卯の花煮、コロッケ、味噌汁(人参、カボチャ、玉ねぎ、煮干し、豆腐、ほうれん草、ネギ)、焼きそば。食後に花林糖。

侍従が深く頭を下げる。かしこまるのは、その血筋にである。他に何か示唆される物事は一切ない。

その光景を見ていて、何かが狂い続けていることを感じるのは誰あろうご本人ではあるまいか。