片隅であろうとも

 

雨のち曇り。6度。

6時に起きる。

朝餉は、竹輪と野菜の卵とじ、リンゴとバナナ、みそ汁(大根、人参、かぼちゃ、玉葱、豆腐、ネギ)、バタール、フルーツティ、白湯。

女房の出勤日で弁当を。

ボダムの1リットル容量のフレンチプレス式コーヒーメーカーを求める。僕たちの舌はどんどん鈍になってしまい、コンビニのでさえ旨いと思う。油分のほとんどない、サラサラのコーヒーばかり飲んでいる。

ずっと自宅で淹れていた、あのしっかり淹れたコーヒーをここでも飲んでいく。

昼餉は、朝の残り。

グラミー賞の最優秀アルバムに選ばれたケイシー・マスグレイヴスの『Golden Hour』はLPで聴きたいと思わせる。CDの普及とともに失せていったさまざまな文化について静かな抵抗が生まれていることを、マスグレイヴスのアルバムはどこかで象徴しているような気になる。彼女にはいい迷惑なのかもしれないけれど。

サラサラして気軽なオン・デマンドではなく、LPで音楽はしっかり聴く。

夕餉は、リンゴや竹輪を入れたポテトサラダ、鶏肉団子の常夜鍋、鯖の味噌煮、玄米ご飯、赤ワイン、白湯。食後にコーヒーとチョコレート。

便利とか、耳元で囁いてくる。

そのために働く。価値を生み出すために。

そのために時間を奪う。誰かの時間を、消費させる。

その生き方は、略奪だと思う。

それでは、不揃いで欠けたコーヒー豆をフレンチプレスで淹れるのは略奪じゃないのか。

いちいちについて、問いかける。生半の自分に。

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