ただこなすだけの

 

 

 

 

 

 

 

 

晴れ。10度。

7時に起きる。

朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナ、キャベツ・大根・ひよこ豆・チーズ・ツナのサラダ、味噌汁(小松菜・玉葱・人参・油揚げ・豆腐)、卵焼きとハムのサンドイッチ、ルイボスティー。食後にコーヒー。

妻はクワイアの稽古やらへ。夜遅くに帰る。

僕は電車を乗り継いで、予約していたAppleディーラーへ。iPhoneのバッテリー交換。

乗り換え駅のショップに寄って、フランネルシャツとジーンズを求める。どの店も冬物セール真っ盛りだ。

床屋でいつものツーブロック。ちょっと短めに。

家に帰って、パタゴニアのアイアン・フォージ・ヘンプ・パンツを裾上げに持っていく。

夕餉は、佃煮、麻婆豆腐、即席の塩ラーメン、玄米ご飯、赤ワイン。食後に歌舞伎揚。 

 

 

 

 

 

 

おはぎは食いたし……

 

 

 

 

 

 

 

晴れ。8度。

7時に起きる。カーテンを開けたら、息を呑む日の出。ソファに座り、その一部始終を見る。

朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナ、キャベツと大根のサラダ、味噌汁(玉葱・人参・小松菜・油揚げ・豆腐・シメジ)、卵とハムのトーストサンドイッチ、ルイボスティ。食後にコーヒー。

 

宇治拾遺ものがたりより――

 

 むかしのこと。

 比叡山にひとりの稚児がいた。

 ある夜、坊さんたちが夜のひまをもてあまして、

 「おはぎでも作ろうか」

と言うのを、かたわらにいて耳にした。

 うれしくて待ち遠しかったけれど、できあがるのを、寝ないで待っているのも体裁が悪く、いつもの寝る時間になると、片すみに寄って寝ころんだ。寝入ったようなかっこうだけはして、おはぎのできるのを、わくわくしながら、いまかいまかと待っていた。

 やがてできたのであろう、坊さんたちが集まってがやがや騒いでいる。

 ――きっと起こしてくれるだろう。

 そう思ってこの稚児が待っていると、案の定、ひとりの坊さんが声をかけてくれた。

 「もしもし、お起きなさいな」

 稚児はうれしかった。声の下からとび起きそうになった。が、そこで考えた。

 ――待てよ。一度呼ばれてすぐに返事したら、狸寝入りをして待ってたのだとわかってしまうだろうな。ちょっとぐあいがわるいや。よし、もう一度呼ばれてから返事しよう。

 すぐに起きだしたいのを稚児はがまんした。ところが、別の坊さんがこんなことを言っている。

 「いやいや、起こしなさるな、かわいそうに。あの子はぐっすり寝入っているのだから」

 稚児は泣けてきそうになった。

 ――しまった。えらいことになった。どうぞもう一度呼んでくれますように。

 けれど、聞こえてくるのは、むしゃむしゃとおはぎを食う音ばかり。もうなんともしようがない。やぶれかぶれ、ずいぶん遅い返事を、

 「はい」

 と大声に叫んだ。

 

夕餉は、佃煮、おでん、玄米ご飯、赤ワイン。食後に焙じ茶、クッキー。

妻と夜空を見上げながら散歩。頬がこわばっていく。

十八夜くらいの月が雲間から覗く。同じような月をどれくらい見上げてきただろう。それらは過ぎ去ったわけでも、戻ってこないわけでもない。今も、同じ時間にこうして登って輝いている。

時間などあってないようなものだ。

僕らは死ぬけれど、生きた記憶はずっと漂いつづける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

虫の知らせ

 

 

 

 

 

 

 

 

晴れ。13度。

7時に起きる。

朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナ、キャベツ・ツナ・大根のサラダ、ハムと目玉焼き、味噌汁(ナメコ・玉葱・人参・小松菜・油揚げ・豆腐)、リンゴジャムのトースト、アールグレイ。食後にコーヒー。

なんとなくというか気まぐれで書斎のスピーカースタンドを動かして、間隔を数十センチほど広げてスピーカーを置き直した。するとRevoxの解像が増した。

幅が広がったせいで左右のスピーカーとリスナーが作る正三角形の中に僕の頭がすっぽり入ってしまうことになった。本来なら三角形の頂点に頭はあるべきだけれど、音は以前よりずっとクリアに聴こえている。

LINNのSpace Optimizationを再計算させて、Revoxとリスニングポイントの位置関係を文字どおり最適化させるべきところだが、音がいいのでそのまま聴いている。

ステレオ・セパレーションは60年代のジャズソースに合っている。ドラムのセッティングやギタリストの座っている場所が手に取るようにわかる。ハワイアンのウクレレの音も生まれ変わったような……どういうことだろう?

LINNとRevoxで音楽を聴いているなんて、この国では僕だけかもしれない。極北の組み合わせだと思う。居間のオーディオもマランツのアンプにLINNのスピーカーという組み合わせだ。なんだろう、この嗜好は。

ごくたまに、ラックスマンとJBLならと思わないこともない。でも、誰だってごくたまに魔がさすだろう。僕の嗜好は、行き当たりばったりに見える。そんな指南をしてくれる評論家とか専門家はきっといない。

昔の部下からメール。昔の上司が急逝したと。12月25日に転倒して骨折し、27日に手術して入院していた。年が明けて2日、夕食時に食べ物を喉に詰まらせて逝ったという。

12月12日夕、その上司が僕のスマホを鳴らしていた。鳴っているとき、彼の名前が画面に表示されていた。彼の声と顔が浮かんだ。

めんどくさいヒトだった。

会うと、愚痴っぽい話を小さな声でした。

また、その話を聞くのかな……。

そう思うと、電話に出るのがためらわれた。ちょっとの逡巡だったと思うが、どのくらい鳴っていたのかはっきりしない。

どうせまたかけてくる。そうしたら謝ろうと思っていた。

電話はかかってこなかった。

夕餉は、佃煮、厚揚げ・白菜・人参・シメジの中華餡煮、ホッケのひらき焼き、味噌汁(小松菜・キャベツ・大根・玉葱・人参・油揚げ・豆腐)、玄米ご飯。食後に焙じ茶、チョコレート。

昔の部下に、電話があったことをメールに書いた。虫の知らせ、と書いた。送ったあとに、そんなのを虫の知らせとは言わないだろうと気づいた。

 

 

 

 

 

追い詰められて繰り出すこと

 

 

 

 

 

 

 

晴れ。13度。

6時に起きる。

卵サンドイッチを作って、妻と青春18きっぷの旅。残った2枚を使い切るため、早春の海を見に行こうかと。JR線をあれこれ乗り継ぎ、最後は銚子電鉄で犬吠埼へ。

連休の中日でも、電車は朝からそこそこ混んでいる。僕らは、流れる景色を見ながら車内の人模様を眺めるでもなく。

雲がところどころに浮く抜ける空の青。

途中、鹿島神宮に寄ろうか迷ったが、次回へ譲ることに。

なりふりかまわぬ経営がつとに有名な銚子電鉄は乗客で満員だった。車内はピンクの風船とぬいぐるみで飾り立てられている。ゲーム会社とのコラボレーションらしいのだが、呆気にとられて言葉が出ない。そこにきゃりーぱみゅぱみゅの車内アナウンスが流れる。次の駅周辺の案内を聞いているうちに犬吠駅に着いた。

歳をとれば多少の毒気などそよ風のようだが、銚子電鉄にはみごとにやられたました。始発の「絶対にあきらめない銚子駅」という駅名板を見上げた瞬間から、言うことはすべて消えた。

赤字にあえぐ全国の鉄道会社は、なりふりかまわぬと言われる銚子電鉄の経営をどう見ているだろう。

売れるものは線路の玉砂利でも缶詰にする。そこに至るエピソードを鳥塚社長が語っている。

「昭和40年ぐらいまで国鉄は玉砂利を使っていたんです。そこから砕石にどんどん変えていった……ということは、玉砂利が残っている線路って50年60年経っている。半世紀以上にわたって鉄道の輸送を支えてきた石なんです。缶を空けて石を見ると、少し赤くなってるんです。昔の車両はブレーキをかけるとすごくわずかに鉄粉が飛び散ったんですね。いまは違いますけど」

 

玉砂利の缶詰を売る鉄道会社は2社増えて3社になった。クラウドファンディングなどとケムに巻く必要はないのだと思う。

犬吠埼灯台の上は強い風が吹いていた。でも日差しは強い。顔が火照るのは春の証である。

遅い昼餉は、銚子駅から港へ歩いた蕎麦屋で。五目蕎麦。港そばのカフェでコーヒーとベルギーワッフル。

とっぷり日が暮れて、途中の駅から鹿島神宮の詣袋を下げた家族が乗ってくる。

家には8時過ぎに帰り着いた。

夕餉は、坦々麺のカップ麺とおにぎり2個、ビール。食後に焙じ茶、チョコレート。

なりふりかまわぬと言っても、鉄道会社には負債を資産に変える玉砂利があった。それを缶詰にして売ったら利益が出た。お宝の山である。すべてがお宝なのだと信じることが、経営の端緒という教えである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

静かな微熱

 

 

 

 

 

 

 

晴れ。9度。

7時に起きる。

朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナ、味噌汁(シメジ・玉葱・人参・ネギ・油揚・豆腐・小松菜)、卵とハムのサンドイッチ。食後にコーヒー、羊羹。

終日、ワクチンの微熱。

昼餉は、小松菜とハムのアーリオオーリオ・ペペロンチーノ。

夕餉は、佃煮、納豆、キャベツを添えたコロッケとメンチカツ、味噌汁(大根・玉葱・人参・油揚げ・豆腐)、玄米ご飯、赤ワイン。食後に焙じ茶、クッキー。

 

 

 

 

 

 

大忙しの先生

 

 

 

 

 

 

 

晴れ。9度。

7時に起きる。

朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナ、キャベツ・大根・カニカマのサラダ、ハムと目玉焼き、味噌汁(ナメコ・玉葱・人参・大根・ネギ・油揚げ・豆腐)、リンゴジャムのトースト。

5回目のワクチン接種を受けに妻が先に家を出る。昼前の予約をした僕も後から。

本屋で新刊を求める。内田洋子著『モンテレッジョ 小さな村の旅する本屋の物語』(文春文庫)。文庫になるまで気づかなかったことを恥じる。著者も本も。

病院の待ち時間に読む本を忘れたことに感謝。

妻との昼餉は、スーパーのフードコートでオコワと焙じ茶。

今日の小さな病院は先生が一人でなんでもする。待合の呼び出しも、椅子の消毒も先生がやる。受付の事務の女性の姿は見えるものの、そういえば専属の看護師は見当たらなかった。

先生はてんてこ舞いだが、慣れっこになったのだろうか忙しく歩き回っている。ワクチン接種のほかにもさまざまな患者が次から次へと訪れる。そんな調子で働き詰めで、妻によれば休診日は水曜だけで、日曜も開業していると。病院のホームページには看護師募集の文字が踊っている。

若い先生が僕の注射にかけた時間は30秒にも満たなかった。待合室は患者でいっぱいだったが、事情を察しているのか誰もが静かにしていた。

夕餉は、黒豆煮、伊達巻、筑前煮、鶏肉のハンバーグ、味噌汁(ナメコ・大根・人参・玉葱・油揚・豆腐)、玄米ご飯、赤ワイン。食後にかりんとう、焙じ茶。

妻はワクチンの影響が出てきて注射した腕が痛むという。僕が痛み始めるのは明日だろう。

 

 

 

 

 

 

文字を揺籃した道具

 

 

 

 

 

 

 

晴れ。8度。

7時に起きる。

朝餉は、バナナ、キャベツ・大根・カニカマのサラダ、ハムと卵焼き、味噌汁(ネギ・大根・玉葱・人参・ナメコ・油揚げ・豆腐)、トースト、アールグレイ。食後にコーヒー。

本が届く。川端義明著『宇治拾遺ものがたり』(岩波少年文庫)。言わずとしれた『宇治拾遺集』を国文学の大家が子ども向けに平易に著したものだが、大人だってじゅうぶんに愉しめる。

『宇治拾遺集』の作者は『宇治大納言物語』を著した権大納言源隆国といわれている。あれこれと経緯はあるのだが、宇治大納言物語からもれた説話を拾い集めて作った増補版という位置付けに『宇治拾遺集』はなるといわれている。

もっともらしい説明なので、頭から信じてもいいのだけれど、そういう明快さには誰かが盛った毒が潜んでいることもある。

なんにせよ、鎌倉時代に編まれたといわれる説話集には現代の作家が想像さえできない奇想天外なものが編まれている。幼少にそれらに触れると、母胎に似た揺籃の感覚を植え付けられる。俗にいう国民性のようなものかもしれない。

魑魅魍魎が徘徊していた時代には、それに相応しい物語が息づいていた。それらすべてを絵空事だと決めつけるのは僕ら日本人の性分ではない。少し前にヒットしたアニメーションが大正時代に鬼と戦う物語だったことは、僕らのうちに絵空事を体内に取り込む力が衰えず生きていることを教えてくれる。

僕らは、魑魅魍魎とともに生きている。そのことを片時も忘れていない民族だと言える。

文字の誕生とともに、この世界の最初からの奇想天外を、中国伝来の文字を使いつつも、この国で息づいていた話言葉を当て字を使ってまでして綴った物語は、世界の国々に負けず劣らずの質と量を持っている。

僕らは豊かな物語の国に生まれたことを寿がなければならない。なんども繰り返して、それらの物語を味わい尽さなければと思う。

夕餉は、佃煮、黒豆煮、伊達巻き、筑前煮、味噌汁(ナメコ・大根・玉葱・人参・ネギ・油揚げ・豆腐)、玄米ご飯、赤ワイン。食後に焙じ茶、クッキー。

文字が生まれたので、物語はさらに増えていった。新しい道具ができれば、それにふさわしいものが作られる。それによって文字はさらに豊かになり、強さを増していく。物語は文字という道具の推進装置だったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

文字のまだなかった頃の

 

 

 

 

 

 

晴れ。8度。

7時に起きる。

朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナ、キャベツと大根のサラダ、目玉焼き、味噌汁(ネギ・大根・玉葱・人参・油揚げ・豆腐)、トースト。食後にコーヒー。

本が届く。太安万侶著、福永武彦作『古事記物語』(世界少年文庫)。

言わずと知れたこの国最古の書物。口承で伝えてきた物語(系図・神話・伝説など)は、天武天皇が稗田阿礼に命じて覚えさせた。この国にはまだ文字がなかった(と言われている)。

稗田阿礼は物覚えが良く、物語を片っ端から頭に入れていった。それを文字に興すよう命じたのが第43代の元明天皇で、命じられたのが太安万侶だ。太安万侶は、稗田阿礼から聞いた物語から、確かだと思えるものを選んで年代順に並べて書物とした。 

712年(和銅5年)、こうして『古事記』は生まれた。

というあらましを太安万侶が『古事記』の序に書いている。スサノオノミコトのヤマタノオロチ退治とか因幡の白ウサギ、海幸と山幸といった物語は『古事記』によってカタチを与えられ、僕らの物語として生き続けている。

夕餉は、漬物、佃煮、黒豆煮、伊達巻き、筑前煮、味噌汁(大根・玉葱・人参・ネギ・油揚げ・豆腐)、玄米ご飯、赤ワイン。食後に花林糖、焙じ茶。

僕らの暮らしに文字が生まれてわずか1300年ほど。『古事記』は中国から伝えられた漢字によって書かれているように見えて、実は話し言葉の躍動は漢字に当てはめたような部分が多々ある。僕らの先祖が話していた言葉のいぶきは、漢語ではとても表現しきれなかった。太安万侶の当て字は、その躍動を今に伝える唯一の言葉だと言われている。

 

 

 

 

 

 

その挨拶って……

 

 

 

 

 

 

 

晴れ。9度。

7時に起きる。

朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナ、御節、味噌汁(ネギ・大根・人参・玉葱・油揚げ・豆腐)、ご飯。食後にコーヒー。

丸4年ほど使っているiPhone8は、バッテリーを満充電しても80パーセントに届かなくなってしまった。交換してください、とAppleがiPhoneの画面越しに言っている。

買い替えるならiPhone 12や13あたりのminiかしらと見当をつけて調べる。とたんにバカバカしくなった。熱心に使いもしないのだからバッテリーの交換で十分だ(Appleだってもともとそう言っている)。

LINEのようなデザインの汚いアプリを使っていたら、こちらの意識まで混濁する。便利はけっこうなことかもしれない。が、汚いのを我慢するくらいならその便利はいらない。

ま、そう言い切るのさえ生きることを狭めることになるので、ただ黙々と暮らす、それに限ると思う。いきがって断言すると、その瞬間に嘘が潜り込んでくる(と、いつのまにか断言している……)。

嘘でも、潜り込んでくるのも別にいい。それにかかずらうのも悪くない。でも、わざわざ挨拶するのは面倒かもしれない。

iPhoneに挨拶されて、こちらも挨拶して。ああ、今日も暮れていく。

夕餉は、納豆、漬物、御節、鳥肉団子と白菜・大根・ネギの中華鍋、玄米ご飯、赤ワイン。食後に生チョコレート、焙じ茶。

 

 

 

 

 

 

いちおう、あやまる言葉も

 

 

 

 

 

 

 

晴れ。9度。

7時に起きる。

朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナ、お節、卵でとじた味噌汁(大根・人参・玉葱・ネギ・油揚げ・豆腐)、ハムと卵のトーストサンドイッチ、オレンジティー。食後に生菓子、生チョコレート、コーヒー。

食べ合わせが悪かったのか、トイレへ駆け込んでいるうちに日がかたむく。去年までの身体に溜まっていたモロモロを強制的に排除したようで、肛門はそれによってヒリヒリしているのだが感じは悪くない。

元来の食い意地張りなので、出せば詰め込みたくなる。で、またトイレへ駆け込む。やれやれ、とトイレで声が出る。

大根の皮を漬けたのをポリポリ食っているうちになぜだか止まった。

箱根駅伝からずっとテレビを見続ける。

ちょっとずつ料理を作り続けて、ちょっとずつ食べる。書き連ねるのも面倒だ。

去年の暮れから、ちょっとずつ細野晴臣を聴いている。作り込んでいるのか、あっさり収めているのか、もうあれこれ考えないようにしているのか、なにかが起きるまで作ることに決めているのか。作るということと息をすることのあいだに膨大な暮らしが存在するのに、それをピョンと飛び超えている。

意図しようとしまいと、とりあえず作る。とりあえずなんていう言い方は失礼なのだが、とりあえず作らにゃならんでしょう、という声が聞こえる。作らにゃならんでしょう、という言い方がどこか腑に落ちる。

とりあえず聴かにゃならんでしょう、という呼応するような言い方はふさわしくない。でも、ほかにピッタリくる言葉が思いつかないから仕方ない。細野さんには、そういう言い方をしても許してくれそうな気がするので、こうやって書いている。ごめんなさい、とも書いておく。なぜだか……。

夕餉は、御節、味噌汁(ほうれん草・大根・人参・油揚げ・豆腐)、玄米ご飯、ほうじ茶。

 

 

 

 

 

 

やり残しのお節

 

 

 

 

 

 

 

 

晴れ。11度。

7時に起きる。

朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナ、お節、年越し蕎麦を元旦に。

家のそばの熊野神社へ詣でる。30分ほど並んで柏手を打つ。昨年までの大麻の護符やらお守りをお焚き上げへ。新たな護符と八咫烏の鈴を求める。

おみくじは妻が吉、僕は大吉。この取り合わせが続いているような。

同じ大吉でも中身はだいぶ違う。大吉だからといっていい気になっているなよ、それほど安穏としていられないと覚悟しろと以前のには書かれていた。なにが大吉だ、と思ったものだ。

今年のは、大吉なんだからばんばん行ってよろしいと書かれている。思いどおりにやってみろ、だって大吉なんだかさ、と。イケイケなのがなんだかこわい。大吉はいつから極端になったのだろう?

暖かい陽を顔にうけて歩く。フードコートで塩大福を頬張る。

紅白なます、茶碗蒸しを作ってお節っぽいものは揃えた。田作りに心残り。

夕餉は、お節、雑煮、ウィスキー・オンザロック。食後に生菓子、妻の点てた抹茶を2服。

 

 

 

 

 

 

涙、涙のひまわり

 

 

 

 

 

 

うす日。9度。

8時に起きる。

朝餉は、味噌汁(ナメコ・ジャガイモ・大根・玉葱・人参・油揚げ・豆腐)、ハム・ピーマン・玉葱のピザトースト、アールグレイ。

お節を作ろうにも、食材がばかみたいに値上がりしており、まともな感覚では買い物ができない。ふつうに暮らせと言われていることに気づく(年の瀬も押し迫って支度もクソもあるかという現実は別にしてだが……)。だれが言っているのかはともかくとして、その声は正しくもあり今にはじまったことでもない。

そういえば、ある日のこと。体幹だぞ体幹、という声がしたような気がしてクランプなんかをヒィヒィ言いながらやっていたら頻尿がおさまりつつある。そういうことだったのか、とトイレで合点がいく。

だれが言っているのかはともかくとして、そういう声はその時にはよくわからなくて、あとになってそうかと思うのだ。

 

「それを造れば、人々はやってくる……」

 

トウキビ畑でそんな声を聞いた男の顛末は映画を見ればわかる。

僕に聞こえるなら、誰にだって聞こえている。誰だ、お前は?とかその声に問いかけながら。

どこかで相手を信じているのは、そういうバックボーンがちゃんとあることを知っているからではないかと思う。どうせ、同じ人間じゃんというのは、モダンジャズの旗手の一人にして極度のジャンキーだったチャーリー・パーカーが端的に語っている。

 

「そんな怒るなよ、あんたも俺も、おふくろのおまんこから生まれてきたんじゃないか」

 

ドラッグ欲しさに、借りた金を踏み倒すようなヤツがそんなことを言う(相手を信じているいないの問題ではないと彼は言っているのかもしれないが)。

なんにせよ、チャーリー・パーカーはバックボーンがあることをわかっていた。でなければ、あんな超高速にして超耽美なフレーズを奏でたりはしない。それがどれほど革新的であろうと、ちゃんと伝わるのだということを一瞬たりとも疑ったりはしなかった。

札幌の姉に電話。雪はそれほど積もっていないけれど、一人で迎える年末。涙声で暮らしを語る。寂しいときは、寂しさを無理に遠ざけることはないよと言う。どんな気持ちも、そのときの偽ざるものなら対峙するほかないのだから。

言わずもがなのことを言って、僕はろくでもないと心のうちで舌打ちをする。

夕餉は、鳥肉団子・白菜・焼き豆腐・ネギの中華鍋、残り汁にラーメン、赤ワイン、ビール。食後にハーブティー、クッキー。

NHK BSで映画を。ヴィットリオ・デ・シーカ監督の『ひまわり』。マルチェロ・マストロヤンニの演技の凄みは、こちらが歳をとるほど伝わってくる。ソフィア・ローレンは最後のシーン、列車を見つめる視線が一瞬だが宙を泳いで、こちらの涙を誘う。

というよりも、僕は最初の咲き乱れるひまわりのシーンから涙が止まらない。リュドミラ・サベーリエワの美しさは、ロシア娘のほんの短い期間にしか認められないものだが、彼女はそれをずっと保ちつづけた。

ロケ地はウクライナだ。あの原発はチェルノブイリだったのだと思う。そうであれば、事故は16年後に起きている。

ウィスキーをちびちびやりながら、お節を作る。伊達巻き、栗きんとん、筑前煮、妻の作った高野豆腐の煮物、買ってきた黒豆煮も妻が御重に詰めていく。昆布巻きと田作りはパスして、紅白なますと茶碗蒸しは明日にでも。

 

 

 

 

 

 

向こうからやってくるもの

 

 

 

 

 

 

 

晴れ。10度。

8時に起きる。

朝餉は、ツナ・キャベツ・大根のサラダ、味噌汁(ほうれん草・大根・玉葱・人参・油揚げ・豆腐)、ハム・ピーマンのチーズトースト。食後にコーヒー、クッキー。

AEONからカードが送られてきた。いまさらゴールドカードを頼んだ覚えはない。年間の利用金額の多寡によってAEONが判断したのだと書かれている。年会費は無料のままアップグレードされ、あれこれ特典が付いてくる。空港のスーパーラウンジが使えるようになったり、付帯保険が付いたりする。AEONラウンジというのも使えるそうな。あのスーパーにそんなスペースがあったとは……。

長年の利用者であるにもかかわらず置いてけぼりの妻には家族カードを申請してやることに。

昼餉は、フードコートでずんだ餅。

注文の古書が届く。若菜晃子著『東京甘味食堂』(講談社文庫)。

AEONがらみはもうひとつ。レジゴーというサービスは2年前から始まっていたらしい。我が家のそばのAEONでも使えるようになったことを妻から教えられる。

カートに備えた専用端末で買うものをスキャンしていき、支払いはそのデータをAEONの決済システムにアップロードして決済する。専用端末のほかに手持ちのスマートフォンにアプリをダウンロードすると同じことができる。できてあたりまえだと思っていたことが21世紀もだいぶ過ぎて追いついてきた。もっとも、それはデジタルデバイスを知らなければ手も足も出ない。

今年、僕らは独裁者の横暴に振り回された。偏執者でもある彼らは、誇大妄想であり猜疑心の塊でもある。ドナルド・トランプからこちら、21世紀は平衡感覚の喪失に覆われている。民主主義は、それを巧妙に装って羽化すると偏執者や誇大妄想者だったという擬態を生み落とすことがある。とんでもない世紀だと気づいた。

世紀が変われば、なにかが変わる――それこそ妄想かもしれない。僕らは同じことを繰り返している。受け入れがたいロジックが蔓延る。それはもと来た道だ。

なにかが便利になると、なにかを失う。確かなものはわずかしかない。絶対的な確かさは、僕らはいつか死ぬというあたりまえのことくらいかもしれない。

夕餉は、温かい蕎麦、チーズハンバーグ、玄米ご飯、ウィスキー・オンザロック。食後にほうじ茶、クッキー。

 

 

 

 

 

 

東へ

 

 

 

 

 

 

 

曇り、のち晴れ。12度。

7時に起きる。

部屋を掃除し、荷物をまとめて、妻と駅へ。

青春18きっぷを使い、東海道線を自宅へ帰るほぼ各駅停車の旅。

世間は昨日が仕事納めで、電車は帰省やらでさっそく混んでいる。大垣、豊橋、島田、熱海、小田原あたりで乗り換える。温泉場に向かう家族は年明けまで旅館だろうか。

富士山は頂きに雪が舞いあがっている。7合目あたりを過ぎる薄い雲。目を転じると、伊豆の海は輝いていた。

本を読み、うとうとし、景色や旅人の姿を眺める。今日の時は思っているより足早にすぎる。

遅い昼餉は、ターミナル駅のそば屋でかき揚げ蕎麦。関東に帰ってきたことが汁の色味でわかる。

夕方、家に着く。関東はずっと晴れ。居間には昼間の暖気が残っている。すきま風がない、当たり前のようでいて自宅に帰ってきてわかるありがたみ。書斎の小さな電気ストーブの威力がわかる。

注文した本が届いている。若菜晃子著『岩波少年文庫のあゆみ 1950--2020』(岩波書店)。

夕餉は、ワンタンスープ、五目おにぎり、ウィスキー・オンザロック。食後に玄米茶、歌舞伎揚。

 

 

 

 

 

 

這い上がってくるもの

 

 

 

 

 

 

 

 

晴れ、のち曇り。9度。

8時に起きる。

朝餉は、味噌汁(ジャガイモ・ほうれん草・玉葱・人参・ネギ・油揚げ)、卵サンドイッチ、アールグレイ。食後にクッキー。

本を読んでいると、足元から冷気が這い上がる。石油ストーブによれば室温はいちおう18度となっている。ダウンコートを羽織って人心地つく。

台所で佃煮を作る。出汁をとった昆布と鰹節を刻んでいると、手足の指の感覚が薄れていく。白い息。鼻水が垂れる。昆布と鰹節を煎っていると甘い香りがたちあがって腹が減る。

昼餉は、醤油仕立ての雑煮。焼いた餅に汁を合わせて、ほうれん草とできたての佃煮を餅にのせる。

シャワーを浴びる。日の高いうちでなければ風呂場へ行く気にならない。

今年の全国統計によれば、滋賀は男の平均寿命が1位、女が2位という。派手さなど微塵もないこの県は、それでも住みよいということらしい。このアパートで霜焼けにクナイプのクリームを塗りこんでいると、狐につままれたような気になる。

夕餉は、新香、佃煮、ジャーマンポテト、焼売、味噌汁(大根・玉葱・人参・ネギ・油揚げ・豆腐)、玄米ご飯、赤ワイン。食後にジンジャーティー、クッキー。