赤い実を食べた

 

晴れ。19度。

7時に起きる。

朝餉は、切干し大根煮、小松菜・油揚げ・シメジの卵とじ、大根・豚ひき肉の煮物、味噌汁(カボチャ・大根・人参・油揚げ・豆腐・小松菜)、玄米ご飯。食後にコーヒー、クッキー。

札幌の叔母から毛蟹やボタンエビ、ホタテなどの海鮮が送られてくる。北の豊かさに見合う返礼が思いつかない。お礼と長きの無沙汰を詫びたり。母方の血縁は、みな情が深い。

葬儀の返礼品リストを作って、葬儀社と姉に送る。北海道では香典の半返しという風習がない。それでは父が怒ると思ったが、相手も驚かないくらいの返礼にとどめることにして、あとは都度の弔事にあらわす、北のやり方に従った。気軽に行き来できない冬の事情が介在しているのだと思う。慶弔は、気候風土に負うところ大なり。

昼餉は、抜き。

Apple SiliconMacを購入したユーザーのベンチマークが公開され始めている。どれも驚くべき結果を弾き出している。Rosetta2でもインテル系CPUより2倍速という結果は、さすがに信じがたい。どれほど同じ結果が出てこようと、ちょっと待てという感じがする。

夕餉は、大根・豚ひき肉の煮物の残り、妻の作ったキーマカレー、ルイボスティ。食後にクッキー。

妻の花束のついでに買い求めたシャッターベリーを妻が鉢植えにしてくれた。豆リンゴをさらに小さくしたような赤い実は、啄んだ小鳥の毛を赤く染めそうなほど鮮やかだ。

 

 

伝わってくること

 

晴れ。20度。

7時に起きる。

朝餉は、レタス・パプリカ・大豆・ポテトのサラダ、カボチャ・ハム・シメジのバターミルクスープ、トースト、ヨーグルトをかけたリンゴ、フルーツティ。食後にコーヒー、クッキー。

妻の誕生日。いつのもケーキ屋でチーズスフレのベリーケーキ、駅前の花屋で花束を求める。気になっていた花屋だったが、素敵な花束を作ってもらう。バラ、アマリリス、八重のトルコキキョウ、ラナンキュラス、それにふくよかな多肉など。香り高い花がたくさん。手作りの石鹸とクナイプの入浴剤を添えて渡した。

昼餉は、コーヒーとケーキで。

CPUM1を使ったMacのベンチマークが公開されている。出所は定かでないのだが、シングルコアでもマルチコアでもインテル系を凌いでいる。それもエミュレート・モードであるRosetta2での数字だという。にわかには信じ難いが、真偽のほどは遠からずわかる。

OS Xに切り替わった当時のことを思い出した。モダンなベースになったことがちょっとしたオペレーションから伝わってきたものだ。画面の描画ひとつとっても、モダンであることがわかった。モダンとは、処理速度が醸し出すある種の堅牢さといっていい。タスクの処理速度は、最適化された環境が背後にあることをうかがわせた。

コンピューティングにおいてOSがガラリと変わることは少ないが、CPUのアーキテクチャが根こそぎ変わることはもっと少ないかもしれない。Macは、何度もそれを経験してきた稀有なコンピュータといえる。

手にとるようにわかるターニングポイントは、そんなにあるものではない。今回はどうなのだろう。

夕餉は、ほうれん草の胡麻和え、ポテトサラダ、切干し大根煮、タラのムニエル・バター醤油味、味噌汁(カボチャ・大根・人参・エノキ・油揚げ・豆腐・小松菜)、ご飯。食後にルイボスティ・ケーキ。

 

 

破顔

 

晴れ。17度。

7時に起きる。

朝餉は、大根とカボチャの煮物、ほうれん草と揚げ・ハムの卵とじ、鶏肉とシメジ・玉ねぎの甘辛炒め、味噌汁(ジャガイモ・大根・人参・油揚げ・豆腐・小松菜)、玄米ご飯、コーヒー、バターサンドクッキー。

NHKの将棋と囲碁トーナメント。囲碁の解説、石田秀芳24世本因坊の地合いの計算が面白い。中盤のところで、横塚力7段の有利を数目差のところまで言ってのける。終盤にその差は広がり、羽根直樹9段は投了した。

横塚7段は最後まで緩めることがなかった。

昼餉は、抜き。

目まぐるしかったここ50日が嘘のようで、ぼんやりしている。

書斎で音楽を聴きながら、さて、と思いつつ時間が止まる。

夕餉は、ほうれん草の胡麻和え、切り干し大根煮、ポテトサラダ、サーモンの刺身、味噌汁(カボチャ・大根・人参・油揚げ・豆腐・小松菜)、玄米ご飯、ビール。食後にコーヒー、クッキー。

葬儀が終わって数日した頃、父母の写真を姉が見つけてきた。30年くらい前の墓参のショットだと思う。父の見たことのない笑顔をとらえた一葉で、隣の母もつられるように微笑んでいる。姉と3人で行ったおりに、姉がシャッターを押したのだろう。

そんな笑顔が残っている。なぜかホッとした。

 

 

「買う」という非・多様性

 

晴れ。20度。歩くと汗が流れる。札幌とは別世界。

6時に起きる。

朝餉は、卵焼き、味噌汁(ジャガイモ・人参・玉ねぎ・小松菜・油揚げ)、リンゴの菓子パン、チョコパン、ミルク。食後にコーヒー。

妻と歩いて買い出しへ行くのも久しぶり。クルマのない生活は不便なのか、そのあたりのことも徒然に考えている。ルノーのTwingo、フィアットのCinquecentoVWup!から1台を選びたいところだが、それがこれからの生き方に沿っているのか。

そういう依存の思考が、とてつもなく時代遅れに思える。

どこにいても、僕らは終の住処という意識が希薄になった。僕らの家にいながらも、どこか落ち着かない。不思議な日々がまた続く。

妻は「なにものにも縛られない生き方がいい」と言う。それが具体的にどんなことなのか、彼女にもわかっていない。ふわふわしたままでも、別にかまわない。妻は、そう言いたげだ。

昼餉は、ずんだ餡の串団子、リンゴ。

感染の拡大が続いている。妻と僕が立ち寄ったところが、特に目につく。たまたまのことだが、いい気持ちはしない。この先には、大規模な自粛が待っている。

夕餉は、キュウリとワカメ・カニカマの酢の物、大根とカボチャの煮物、サーモンの刺身、チーズハンバーグ、味噌汁(ジャガイモ・人参・大根・油揚げ・豆腐)、玄米ご飯。

Appleは、macOS BigSur11.0.1のリリース・キャンディデートをリリースした。バタバタしていて気づかなかったのだが、実は2回目らしい。RCは先週にもリリースしているとのこと。

自社開発のCPUM1』を搭載したMacも発表している。刮目すべき内容だが、詳細をわかっていない。メディアも市井も、猜疑心と感動が交錯している。

それが、発表のインパクトを物語っている。

OSの果たす役割について、コンピュータサイエンスはもう重きを置かなくなって久しい。僕は見当違いをしていたことになる。OSが前面に出てくるコンピューティングがどれほど不幸せなことか。そのことにエンジニアはとっくの昔に気づき、まったく異なるバックグラウンド・タスクを模索していた。

 

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無言で

 

晴れ。8度。

7時に起きる。

朝餉は、ホテルのレストランで。和食のバイキング。

旭川から北広島のレンタカー屋へ。妻がほとんどを運転する。Googleは、原野を選んで僕らをナビゲートした。クルマの少ない道を選んだのだろうが、それが心配りに思える。

千歳には昼に着いた。

昼餉は、パスタ。妻はキノコとベーコンのトマト風味。僕は魚介のアーリオオーリオ。

スーパーラウンジでミルクやコーヒーを飲みながら、離発着する飛行機を眺めた。この1ヶ月半のことをぼんやり思う。

父とは、言葉を交わすことなく終わった。何事かを訴えかけていたようにも見えた目。わずかに、ほころんだようにも見えた。

だが、ほんとうのところは何もわからないままだ。

認知症の父がわけのわからないことを話したのは、1年前のことだった。どんな話しをしたのか、それも思い出せない。

定刻から15分遅れて、飛行機が羽田に着いたのは暗くなってからだった。少し暖かく感じたのも束の間だった。

首都高が大渋滞で、僕らはたっぷり2時間を座り続ける。

家に帰りついて、デパ地下で買い求めた茶巾ずしやおこわ、カップ麺を啜ってシャワーを浴びた。

札幌へ向かう前日に、妻が買い求めた白いシクラメンがまだ咲いていて、闇にぼんやり浮き上がっている。

 

 

軽やかな巨躯

 

晴れ、時々曇り。8度。

6時に起きる。

朝餉は、柿。

母と姉に挨拶をして、妻と家を辞す。

道央道を走って、一路、旭川へ。妻がかねてより切望していた旭山動物園へ。

昼前に着く。3時半の閉園まで、2人して体が冷え切るのも忘れて見入る。そんなふうに根を詰め、息をするのさえ忘れてしまったように動物を見たのは初めてかもしれない。動物たちとの距離がほぼゼロの動物園を僕らは見たことがなかった。

圧倒され、打ちのめされる。

ペンギンやシロクマ、ゴマフアザラシといった旭山動物園ならではの鳴り物入りは、予備知識があったにもかかわらず驚きの連続だった。だが、もっとも驚かされたのはカバとか白ヒョウといった地味めな演出の生き物の方だった。とくに水中から見た泳ぐカバは、妻とふたりして時の経つもの忘れてしまう。

昼餉は、バナナ、ロールケーキ、ミルク紅茶。

土産物の建物で絵本なんかを見ていると、どこかで見たことのあるオッサンがいる。妻に、小声で教えた。

今年亡くなられた山本寛斎さんとの対談を見て、その飾らない人柄にこれまた打ちのめされたことを思い出す。来館者は、目先のキーホルダーなんかに夢中なのか気づいていない。着古した作業服の姿はサルの世話係みたいだった。

園長さんである。

僕らは、深く頭を下げてから建物を出た。

コロナ禍で来園者は少ないと思う。小さな動物園をここまで育て上げたのは、一人ひとりの熱意と動物を愛する心だったろう。専門家や同業者が瞠目したのは、同じ心を持ちながら、なぜ旭山動物園だけが違ったのか、その差がいまだにわからないからではないかと思う。北の小さな町の誇りは、だが、今も喘いでいる。

日が暮れかかり、冷たい風が吹き始めた。

体はすっかり凍えて、震えが止まらない。その先には風邪が待っている。予感があった。

ホテルにチェックインして、とりあえず温泉に浸かった。それでも芯はまだ凍っている。

夕食を求めて、妻とまた寒風の外へ。

駅前の飲食街は、人もまばらで火は灯っているのに、ガラス越しの席はどこも人気がなかった。目当ての店は休業しており、僕らは仕方なく地元の焼肉屋に入った。肉がそれほど食べられない妻はビビンバをメインに、それでもカルビやラムを頬張り、ビールを飲んだ。

父や母のこと、姉のことを話しながら。

動物たちのことは、なぜか一言も話さず。

 

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鹿の夜鳴き

 

雪、のち晴れ。3度。

7時に起きる。

朝餉は、納豆、金時豆煮、大根の煮付け、シャケの西京焼き、味噌汁(サツマイモ・大根・人参・ナメコ・揚げ・豆腐・大根の葉)、ご飯、リンゴ・柿・バナナのヨーグルト掛け、番茶。

母を交えて、返礼品の送付リスト作り。集中できない母の代わりに姉と決める。

昼餉は、買い出し先のフードコートで。妻とホットドックをパクつくのは何年ぶりだろう。妻のために防寒ブーツを買う。

夕餉は、妻の作った卵焼き、生寿司、番茶。

冬が来ている。

 

 

低頭ということ

 

晴れ、のち雪。3度。

7時に起きる。

朝餉は、金時豆煮、天ぷら、肉じゃが、サーモンとマグロの刺身、味噌汁(ナメコ・大根・人参・サツマイモ・揚げ・豆腐・大根の葉)、ご飯、柿のヨーグルト掛け。番茶。

姉を乗せて、区役所へ。亡き父の行政申請が目白押しだが、すべて姉に任せる。

姉が癇癪を起こすのは、僕の存在が疎ましいからだが、そばに居たくないのはこちらも同じだ。

妻はそんな姉に初めて接して、言葉を失う。それでも、ひとつ屋根の下に暮らすうちは、どんな誤解を受けても謝らねばならない。家族という括りは、血がつながっているというだけの関係だが、それゆえやっかいなのは誰もが認めるところだ。

僕は、逆鱗に触れないよう静かにしている(それでも触れてしまうのだが)。妻は、取り持とうとして為す術もないが、そういう無力感を味わうのも家族ならではかと思う。

なんにせよ、僕はいつも謝る。言い訳はしない。

親の面倒を見ながら一生を終えるのは、姉なのだ。

葬儀社のアフターフォロー担当が訪う。各種の申請や、香典返しのことなど。明日までに目鼻をつけるつもりで。

遅い昼餉は、マッシュポテト、チーズハンバーグ、ご飯、姉が買ってきた小豆餅。

葬儀の精算をして、記録をつけ終わった。残務の残すところわずかとなった。

夕餉は、端折って母はお菓子と暖かい豆乳。僕らは抜き。

 

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悠然と

 

アラレ、ミゾレ、雪。3度。

7時に起きる。

母と姉に作った朝餉は、肉じゃが、焼きホッケ、味噌汁(ナメコ・大根・人参・揚げ・豆腐・大根の葉)、ご飯。

妻と僕は、クルマで菩提寺のある余市へ。札樽道に乗るまでに時間がかかった。終点が伸びて余市まで1時間もかからない。楽になったものだ。

御縁さんが在宅で、父の法事のこと、法名のお礼とお布施や納骨料などお渡しする。暖かくなった来年の5月あたりに納骨することにして辞す。

墓は、ミゾレに濡れていた。

国道を走って小樽へ。昼餉は、駅前の店で生チラシ。都通りの老舗喫茶でコーヒーを。87年目の店内に、開け放したドアから冷気が流れ込む。

帰りはずっと国道を走った。札幌の手前まで吹雪いていたのが、手稲をすぎると嘘のように雪が消える。大通公園の紅葉はまだ見頃が続いている。

今年は、ゲップが出るほど紅葉を堪能できた。満足した、と妻がポツリと。

夕餉は、姉の揚げた天ぷら、金時豆、ホッケの開きの残り、味噌汁の残り、ご飯。

ニッカの工場を見学しようとしたが、予約制で叶わず。

裏道を選んだ帰りのこと、道端に光る二つの火。立派なツノが夜陰に浮き上がる。ブレーキをかけて、ヘッドライトの前にたたずむ姿を妻に教える。

彼は、ゆっくり向きをかえて木立の中へ消え去った。

目の前にいるのに何も見えないと言っていた妻が、消えゆく真っ白い尻にやっと気づく。

10秒ほどのことだったが、出会いから別れまで、エゾシカは片時も取り乱さなかった。

 

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飲んだつもり

 

晴れ、のち曇り。15度。

7時に起きる。

朝餉は、適当に。

クルマのタイヤを冬仕様に履き替えるため、レンタカー屋へ。車種を少しだけアップグレードしてもらう。

サッポロビール園へ妻を連れて行く。

昼餉は、さまざまなジャガイモを食べ比べたり、ボイルしたソーセージを焼いたり、少しずつあれこれ食す。コロナ禍の感染者が3日連続で記録を更新しているので、ビール園は閑散としている。レンストランだけはジンギスカンの煙が立ち込めていた。

中央図書館で地元の本を読んだり。

夕餉は、妻の作った蓮根の酢の物、唐揚げ、二色そぼろ飯、番茶。

ファミマで当たったビールを久しぶりに飲んだのがいけなかった。10回近くトイレに。

プリン体のせいで、ビールも満足に飲めない。サッポロビールの歴史を見学して、喉越しを想像する。

 

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すみれ

 

晴れ、のち降ったり止んだり。

7時に起きる。

朝餉は、大根の葉のきんぴら、妻の作った小松菜の卵とじ、大根とカボチャの煮物、刺身、味噌汁(サツマイモ・大根・人参・エノキ・揚げ・豆腐)、ご飯、柿・キウイのヨーグルト掛け。

妻と札幌駅近くのKINKOへ。今月末で閉じるという。コロナのせいだろう。店員の女の子に助けられて、香典返しのリスト作りが終わる。Excelのシートを苦もなくジャストサイズで印刷できる人は、ほんとにすごいと思う。

円山公園から宮の森、旭ヶ丘をめぐって建物探訪をしたり。

ラーメンの老舗『すみれ』で遅いランチ。もともとは『純連』という名前だったのが、代替わりに伴って派生したらしい。半世紀前に食べた味噌ラーメンよりコッテリしているような。

わずかに焦げたような香ばしさがあって、それが孤高の味を作り出している。だがそれも、わずかに減じているような。

マクドナルドで、口直しのコーヒーとアップルパイ。

夕餉は、妻の作ったクリームシチュー、ご飯、リンゴ・キウイ。

 

 

駆け足の……

 

晴れ、のち曇り。15度。

7時に起きる。

朝餉は、黒豆煮、納豆、鶏ひき肉とカボチャのそぼろ煮、焼き鮭、味噌汁(サツマイモ・大根・人参・シメジ・豆腐・揚げ・大根の葉)、ご飯、柿・バナナのヨーグルト掛け。葡萄。

父の通夜、葬儀が終わる。母は葬儀に参列できず。僕は、喪主と施主を兼ねた。通夜前の二晩を父と二人きりで過ごす。

姉と妻が家族で参列。一度も会ったことのない親類に会えたのも、父のおかげだ。そのことも還骨法要の挨拶で触れた。会葬者で会場はいっぱいになり、花輪もたくさんいただく。コロナ禍であることが嘘のよう。それでも、振る舞いやら精進落としは割愛せざるを得なかった。よりによって、札幌は過去最高の感染者を出した。

菩提寺の御縁さんは遠方で出席できず、姉が別の法事で聞いた講話が良かったということで、実家の比較的そばにある御西さんに葬儀をしていただく。菩提寺に連絡して法名をいただいた。

そんなこんなの5日ほどがバタバタと過ぎて、3日の通夜、4日の告別式、繰上法要まで滞りなく済ますことができた。

告別式は朝からの初雪で、どうなるかと思ったが、雪はすぐに溶けた。父が手助けしてくれたのだと思う。

事後の始末や疲れが出て、やっと日記に戻ってきた。

妻と外で後始末の続き。

イチョウ並木やポプラ並木を見に北大の構内へ。

イチョウの葉が見事。

遅い昼餉は、北大の食堂で牛トロ丼、豚汁、コーヒー。

構内を歩くうちに、すっかり暗くなった。

葬儀で塞いでいた気分が落ち着く。

夕餉は、焼きそば、カボチャのそぼろ煮。

AppleはmacOS BigSur 11.0.1のパブリックベータを更新した。

 

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98歳

晴れ、のち雨。11度。


夜半前に、病院から呼び出し。

姉と駆けつける。


午前12時4分、父 他界。


斎場に運び、姉を家に帰して、父と朝まで過ごす。




没落のわけ

 

夜半に雨、晴れのち曇り。13度。

7時に起きる。

朝餉は、黒豆煮、大根と人参のなます、卵焼き、鶏胸肉・ナス・ピーマンの中華炒め、味噌汁(カボチャ・大根・人参・シメジ・豆腐・大根の葉)、ご飯、リンゴ・洋梨のヨーグルトがけ。

父の家系も、母の家系も、没落の一途を辿った。特に父方は、町で1、2を争うリンゴ農園を営んでおり、知らぬ者はいなかった。祖父は、馬にまたがり農園を見てまわった。

父はその末っ子だったので、独立するにあたり、遺産らしきものはもらっていない。その後、兄たちは経営に行き詰まり、先祖の農園を手放すはめになった。最後は、父に無心に来た。父は、かたくなに応じなかったという。当座の生活費ほどの金額が、窮状を物語っている。

板挟みになった母の心痛はいかばかりだったか。母の金銭感覚は、父の家系にはない特質だった。我が家が没落の憂き目を免れたのは、母の才覚に因る。

姉の作った昼餉は、焼きホッケ、白菜のお浸し、卵焼き、山芋のすりおろし、ご飯、番茶。ほとんど手を付けられず。

母の才覚のどれほどを、受け継いだか。それが心許ない。たまたま稼ぐことができたが、同じくらい遣った。それは、父方の血を思わせる。母は、才覚について語ることがなかった。その間も惜しんで働いたのだ。

ウルグアイの元大統領、ホセ・ムヒカさん曰く。

「貧乏な人とは、少ししか物を持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」

ムヒカさんの言葉は、才覚について語っているように聞こえてならない。

夕餉は、水餃子スープ、おかずは昼の残りとベーコンと目玉焼き、ご飯、リンゴ・洋梨、番茶。

秋が深まる。もみじが赤く色づいたと思っていたら、そんな赤など及びもつかない赤へと変わった。

息を呑む。

 

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一椀

 

晴れ、のち曇り。15度。

7時に起きる。今朝は3度まで下がった。1週間後には、氷点下になる。札幌では、夏の過ごしやすさと、冬の厳しさにまだ均衡がある。関東より西では、それが崩れている。ここで暮らすと、それがわかる。

朝餉は、大根おろし、ほうれん草の胡麻和え、切り干し大根煮、ホッケの焼いたの、味噌汁(カボチャ・サツマイモ・大根・人参・エノキ・大根の葉・揚げ)、コーンと焼き鮭の混ぜご飯、お新香、柿・洋梨のヨーグルトがけ。

おいしい味噌汁の一杯もあれば、おかずはなくていい。そういう当たり前のことを、忘れては思い出しを繰り返して、いつか作れるところへ辿り着きたい。料理を作ることで、知らなかったことに気づけた。

食材の力を少しでもいいから引き出せるようになりたい。それだけは思う。いちばんむずかしいことは、注意深く、そして謙虚でいること。両方とも、僕にとってはむずかしいことだ。

葬儀社が訪う。おおよその人数を伝えて、見積もりを待つことに。

姉の作った昼餉は、鶏もも肉のソテーにありあわせ、ご飯。僕は抜き。

7.2キロをジョグ。いつもの公園を。日が傾くと、寒い。

夕餉は、抜き。すこしの絶食。