春の寄与

 

雨のち晴れ。7度。

8時に起きる。

朝餉は、ほうれん草の胡麻和え、キャベツ・菜の花・ブロッコリーを添えた目玉焼きとベーコン、味噌汁(人参・玉葱・キャベツ・ネギ・豆腐)、トースト、ミルク。食後にコーヒー。

国会中継を見ながら、キーボードを叩く。

有給休暇のないフリーランスの窮状を国会で議論している時間が短い。

昼餉は、女房が炊いたお赤飯。

女房はお赤飯を義姉の家に届けた。

新型コロナウイルスの欧州での拡大が続いている。米国の株式市場が3000ドル下げたのは、大統領が夏頃まで鎮静化は望み薄だと語ったからだ。その口調は、めずらしく冷静だった。

EUでは接している国境を一時的に閉鎖、人的往来を止めはじめている。パンデミックの中心はEUに移った。日本でも、少しずつ拡大が続いている。

日銀が発表した金融緩和は市場でほとんど評価されていない。市中銀行を通じて中小企業の資金繰りを支えるというメッセージらしいが、経営者は疑心暗鬼のまま金利ゼロの借り換えを検討する。

買い物ついでに、ファミレスでフレンチフライなどつつく。

店内に客はチラホラ。

夕餉は、豚バラの野菜炒め、味噌汁(人参・玉葱・小松菜・カボチャ・ネギ・豆腐)、お赤飯。食後にコーヒー、チョコレート。

ワクチンの開発には時間がかかる。季節的な変動がウイルスの拡大に歯止めをかけられる可能性は低いといわれているが、本当だろうか。

 

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毎日の日曜版は宝箱

 

晴れ、ぱらつく。9度。

8時に起きる。

朝餉は、バナナとヨーグルト、菜の花・ブロッコリー・キャベツを添えた目玉焼き・ソーセージ、味噌汁(大根・人参・油揚げ・ネギ・キャベツ)、トースト。食後にコーヒー。

女房の肩凝りを揉み込んでやる。ここ数日、ずっと。

NHKの将棋と囲碁トーナメント。井山裕太棋聖が張栩九段を中押し勝ちで下す。勝負所で、黒石の大石を奪おうとする張栩九段が、どうやっても取れないと気づいた瞬間の顔。

井山さんは、途中からわかっていた。

昼餉は、ぼた餅を1個。フードコートで菓子パンを1個。

客のいない、声援の聞こえない大阪場所を見ている。行司の声と、塩を撒いたあとの手で、まわしを叩く音が場内に響く。この世から日本人が消滅した日々のよう。

新聞を止めて久しい。せめて日曜版だけでもと思いつつ、当日になると忘れている。二人して、夜になって気づくのが毎度のこと。

夕方の買い物帰りにたまたま気付き、コンビニに寄って毎日新聞をレジに持っていく。滋賀県に配送される毎日新聞はただでさえ少ない。だいたい真っ先に売り切れている。

夕方に立ち寄ったセブンイレブンに2部残っていた。それを買った時の、ヘンな達成感。

夕餉は、ほうれん草の胡麻和え、キャベツを添えたサバの竜田揚げ、味噌汁(玉葱・人参・豆腐・ネギ・キャベツ)、玄米ご飯。

日曜版では、高橋源一郎の人生相談が続いている。

孫娘が風俗で働いている。一番の難関といわれる女子校を出ながら大学にも行かず、風俗で働き続ける孫娘。老婆の心配はいかばかりだろう。素直で優しく、周りからも愛されて育った孫娘に何が起きているのだろうか、と。

源一郎さんは、家族なんだから、思うことをただ聞いてやれと書く。

誰からも愛されるような子に育ったからこそ、孫娘は自分を偽れない、正直なお嬢さんに育ったんですよ。

源一郎さんは、最後にそう書いた。

 

 

蟻の1日

 

雨、のち晴れ。10度。

8時に起きる。

朝餉は、きんぴら、卯の花、大根の煮物、即席のポテトスープ、ピザトースト、りんご。食後にコーヒー。

『Better Call Saul』のシリーズ5を少しずつ見ている。

独特のテンポと微細な描写。まさに映像表現の宝庫だ。エピソード2のエンディングからエピソード3のオープニングへ続くシーンの小道具は、主人公が舐めていたチョコミントのアイスクリーム。そのアイスクリームが、3のエンディングでも登場する。

その変容が物語っているのは、同じ場所にたまたま戻ってきた主人公が体験してきた時間の象徴である。

僕らも、そのアイスクリームを見て、いかに遠くへ連れ去られていたのか、あらためて思い知る。日々の些事が、人生の舵を大きく切っているのかもしれないと。

このドラマが懲りずに、緻密に描いているのは、そうした日々の些事の簡便さのようなものだ。簡便さの裏には、限りない複雑性が潜んでいる。その複雑性を、このドラマはくどいくらい丁寧に、それでいて秘匿すべきは決して詳らかにはせず描く。

映像が得意とするのは、まだ見ぬ世界を描くことと同じくらい、日々の克明性をなぞることなのだと教えてくれる。

物語の奥行きと周縁の広がりにおいて、『Breaking Bad』を超えていると思うのは僕だけではあるまい。

遅い昼餉は、女房が作ったぼた餅。餅米を炊いて、小豆を煮た。

女房にチョコレートのお返しを。キャラメル味のチョコと苺のムースのマシュマロ。

作ったぼた餅を携えて、女房は長浜の叔母のところへ。

叔父の認知症はこの一年で急に進んでおり、投薬検査の入院がもう2か月になるという。週5日、デイサービスに行っていても、叔母や子どもたちの負担はそれなりに重かったと思う。

叔母が作ったキャベツをもらって、女房は夜に戻った。

夕餉は、ぼた餅を残り物を平らげて。

 

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Cr18%、Ni8%

 

晴れ、のち曇り。15度。

8時に起きる。

朝餉は、りんご、卯の花、ブロッコリー・菜の花を添えた目玉焼きとソーセージ、味噌汁(人参・玉葱・春キャベツ・ネギ・豆腐)、トースト。食後にコーヒー。

玄関先でユスリカが舞っている。

燕三条で作られた計量スプーンを求めた。

18-8ステンレスで作られ、しっかりした厚みのあるやつ。表面が恐ろしくスベスベな15ccと5ccのボールが端っこでバランスしている。

百均のも含めてさまざまな計量スプーンを見たけれど、こいつのボール表面の滑らかさは突出していた。どんな調味料も余すところなく計って後には残さない、そんな心意気が指先に伝わってきた。固着して石みたいになった砂糖もこそげ取ってやる、本来の主旨とは違うけれど、そんな強靭さが頼もしい。

合成樹脂のボロボロになった義母の計量スプーンは洗って食器戸棚のコップに立てた。

昼餉は、女房の作った山芋のチヂミ。

札幌の姉が、計量する僕を見て笑っていた。間の抜けた姿に見えたんだろう。自分でも、そう思う。

計っていることが、どこかで縛られているようにも思う。目分量でも、きっちり定量になっている。それに憧れているが、このスプーンはその最終地点をどんどん向こうへ押しやる。

夕餉は、卯の花、大根の皮のキンピラ、大根・竹輪・人参・揚げの煮物、味噌汁(大根・人参・キャベツ・ネギ・豆腐)、チーズリゾット。食後にコーヒー。

今冬の大根料理も、そろそろ終わり。道の駅には短いやつが並び始めている。

 

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そして、のどけき

 

晴れ。12度。

8時に起きる。

朝餉は、レタス・パプリカ・大根・カニカマ・竹輪のサラダ、ソーセージと目玉焼き、味噌汁(人参・玉葱・豆苗・豆腐・ネギ・キャベツ)、トースト。食後にコーヒー。

湖岸の道の駅、駐車場脇の河津桜が咲いている。ここのは、本家の河津より色がだいぶ薄い。クルマがひっきりなしに来て、皆さんのカメラやスマホが活躍している。桜の向こうに、伊吹山がゆったり構えている。

昼餉は、渡ってくる風がまだ冷たい琵琶湖岸の公園で、おにぎりとカップ麺、ウグイス豆のパン、ミルクティ。

無印良品で、先っぽがシリコンの調理スプーンを求める。我慢し続けてきたが、抗しきれず。

女房が義姉から菜の花・ブロッコリー・ネギをもらう。代わりに女房は、義姉の買ったばかりのPCのメーラーとかのセッティングを。

夕餉は、義姉のブロッコリーとベーコンのポテトサラダ、卯の花煮、シャケのホワイトクリーム煮、味噌汁(人参・玉葱・キャベツ・豆腐・ネギ)、玄米ご飯。食後にコーヒー。

 

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KAI-KII

 

晴れ、のち曇り。12度。

8時に起きる。

朝餉は、大根・厚揚げ・人参の煮物、レタス・パプリカ・大根・竹輪・カニカマのサラダ、ソーセージと卵焼きの豆苗添え、味噌汁(人参・玉葱・ネギ・小松菜・豆腐)、トースト。食後にコーヒー、シュークリーム。

ワクチンが開発されない限り、今後の2年で人類の4~8割がコロナウィルスに感染するという見解が欧米の研究機関で顕著になっている。

ワクチンは望み薄だというのが、これらの発表の前提にあるような気がする。WHOは、パンデミックであることをやっと認めた。

トイレットペーパーが店に入荷している。一家族に1パックという但し書きを、行き交う客が見ている。手を伸ばさないところを見ると、買い置きはたっぷりあるらしい。僕らはありがたく1パックをレジへ。

昼餉は、菓子パン、ミルクティー。

今、できることは何ですか、と司会者がコメンテーターの医者に聞いている。答えていわく。

 

手をしっかり洗ってください。

 

トイレットペーパーは探し回らなかったけれど、貝印の二枚刃の髭剃りのリフィルは何軒も探した。店で買うと決めて何軒目だったろう。そこに当たり前のように並んでいるのを見て、なんだか温かい気持ちになった。

これ以上に長持ちして、かつ使い勝手の良いものを知らない。何より安い。意匠もいいし、小さい。名品である。

夕餉は、女房の作った塩ラーメン。食後にコーヒー、桜饅頭。

Appleは、パブリックベータ ・プログラムを更新してβ5をリリースした。

 

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プライオリティのわかる人間

 

雨、のち曇り。15度。

9時に起きる。

朝餉は、ミルクをかけたシリアル、味噌汁(玉葱・人参・豆苗・ネギ・小松菜・豆腐)、トースト。食後にコーヒー、ドーナッツ。

書き忘れた昨日のこと。緑内障でも保証してくれる保険を担当の方がいくつか挙げてくれる。女房はその一つを選んで申し込んだ。

申し込んでみなければ可否はわからないが。

昼餉はコーヒーとドーナッツ。

――A River Runs Through Itより抜粋

 弟とわたしは、できることなら、釣りの楽しみをそぎかねない準備段階のこむずかしいテクニカルなことはいっさい省いて、直接、川へ出かけ、二、三匹釣ってみることからフィッシングの練習を始めたかったが、おやじがわたしたちにフライ・フィッシングの秘伝を伝えようとしたのは、ただそういった楽しみを味わせるためだけではなかった。おやじが本当に言いたかったのは、真の意味でのフィッシングを知らない人間に魚を釣らせたりして、魚の名を汚すようなことは絶対許すべきないということだった。したがって、私たちも海兵隊式に、また長老教会派的に、フィッシングの秘伝に迫るよう求められていた。あらかじめフライ・ロッドの扱い方をマスターしないかぎり、人間ってやつは生まれつき救いようのない存在であることを、わたしたちは、まず事実として、そしてまた、神学的にも、学ばなければならないのだった。

 

夕餉は、キャベツと玉葱の卵とじ、味噌汁(人参・大根・豆苗・ネギ・豆腐)、豚バラと野菜の焼きそば。食後にコーヒー、ドーナッツ。

ノーマン・マクリーンの名著は、ある種のアメリカ人に向けて、地味ながら強力な影響を及ぼし続けている。その文章に触れれば、即座に呼応する準備のある人々がいる。それはアメリカ人に限ったことではないのだが、それでもなお、ある種のアメリカ人には霊力をもって訴えかけてくる。

そこには、プラグマティズムの原初的な有り様が示されていると思う。

僕らは、実際に釣ることによってフライ・フィッシングの何たるかを学ぶことこそプラグマティズムと考えがちだ。マクリーンはそれを巧みに否定して、父はフライ・ロッドの扱い方のマスターを求めたと書いている。川にわけ入って得る体験より、ロッドの扱い方を優先する。アメリカが育んだプラグマティズムの真髄がそこにある。

 

 

コープランド→ブーランジェ→王子さま

 

おおむね晴れ。16度。

8時に起きる。

朝餉は、キャベツ・パプリカ・カニカマのサラダ、厚揚げと大根の煮物、味噌汁(人参・玉葱・カボチャ・豆苗・ネギ・揚げ)、トースト。食後にコーヒー。

本を求める。

ル・コルビュジェ著、森田一敏訳『小さな家(原題:Une Petite Maison)』(集文社)。

レオン・ウェルト著、藤本一勇訳『僕の知っていたサン=テグジュペリ(原題:Saint -Exupery tel que je l'ai connu)』(大月書店)。

後者は、池澤夏樹さんの巻頭エッセイがいい。

池澤さんが4年ほど暮らしたフランスの家は、アメリカの作曲家・コープランドが渡仏の折に暮らした家であると、近隣の住人から教えられた。調べてみると、コープランドが学んだ音楽学校で先生だったのがナディア・ブーランジェだった。

サン=テグジュペリから『星の王子さま』のタイプ原稿を贈られた親しい友が、ブーランジェである。

池澤さんはエッセイに書いている。

「現実的には何の意味もないことだけれど、たった二人の人物を間に挟んでアントワーヌと繋がったというのは、ぼくにすればなかなか嬉しいことだった。」

世界中の人は、七人を介して全員と繋がっている、という本を読んだことがある。池澤さんの場合は最短の部類だろう。『星の王子さま』の翻訳者としては、書かずにいられない事実だったろう。

昼餉は、フレンチフライ、チーズバーガー、コーヒー。

ホームセンターにトイレットペーパーが。まとまった山を見るのは久しぶりのことだ。あっちこっちで増えていくといいけれど。

円高になり、株価が暴落している。収束の兆しの有りや無しや。イタリアで感染が拡大しているらしい。

夕餉は、厚揚げと大根の煮物、味噌汁(人参・カボチャ・玉葱・豆苗・ネギ・豆腐)、竹輪・カニカマ・ネギの卵丼。食後にコーヒー、三温糖のきなこねじり。

箸にも棒にもかからない、ボロボロのストラトキャスター紛いのギターを1000円にも満たない金で買い、直して削って磨いて塗って半田付け直して見事な一本に仕立てる。YouTubeでそういうけっこうな趣味の人の作業を見ていると癒される。

 

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二癖かも

 

雨、のち晴れ。11度。

8時に起きる。

朝餉は、レタス・パプリカ・竹輪・カニカマのサラダ、味噌汁(人参・玉葱・カボチャ・ネギ・豆腐)、フレンチトースト、マンゴーティー。食後にコーヒー。

名古屋ウィメンズマラソンで優勝した一山麻緒さん、ランニングフォームが、惚れ惚れする。

先に代表入りしている前田穂南さんと甲乙つけがたい。フォアフットの軽やかさはアフリカ選手に近い。ナイキのヴェイパーは、それに適した走り方が求められると聞いたが、彼女のはロジカルに作り上げていったフォームに見える。爪先が映し出されるたび見入る。

女房は彦根へ。喫茶店のマスターに会いに。

NHKの囲碁トーナメントは、一力遼 NHK杯が高尾紳路九段に中押し勝ち。最後まで目の離せない良い勝負。解説の武宮正樹九段が対戦を何度も褒める。

昼餉はアーリオオーリオ・エ・ペペロンチーノ。

酒を求める。ジャック・ダニエルズのブラック。久しぶりに飲むと、テネシーウィスキーのコーンの甘さに驚く。

Maker's Markが安焼酎みたいな売られ方になり、なんだか薄味に感じられるようになって以来、ブレンデッドのスコッチを渡り歩いてきた。邂逅が愉しい。

夕餉は、豚バラと野菜のポン酢炒め、味噌汁(人参・玉葱・カボチャ・ネギ・豆腐)、キーマカレーの残り。食後にコーヒー。

彦根のマスターは長年使ってきたトースターを買い換えた。

女房によれば、古いトースターは焦げ付きが気になるトーストだったらしい。今度のは平和堂で安売りしていたAladdinのやつ(そうはいっても安くはないと思う)。我が家の石油ストーブもAladdinだと女房が話すと、マスターは嬉しそうだったとか。

それでもトーストは、まだ焦げている。焼き上げの頃合いが難しいのだと。

一癖あるAladdinは、みんなそうですな。

 

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タイヤ、シャッター、ウメ、スイセン

 

晴れ、のち曇り。12度。

8時に起きる。

朝餉は、コンニャクと大根の甘辛炒め、大根の皮のきんぴら、味噌汁(人参・玉葱・ほうれん草・ネギ・豆腐)、ピザトースト。食後にコーヒー。

冬タイヤを夏タイヤへ履き替える。冬タイヤを洗って仕舞うまで、2人で1時間ほど。空いている車庫の1つに借り手がつきそうなのだが、そこのシャッターが開けられなくて四苦八苦している。残り2つは、逆に鍵がかからない。

花が終わりかけの梅の枝をはらう。去年、台所でとぐろを巻いていたアオダイショウを埋めたあたりにスイセン。

昼餉は、コンニャクと大根の甘辛炒め、きんぴら、中華スープ、野菜と豚バラの焼きそば。

タイヤに空気を充填しにスタンドへ。大きな洗車スペースはいっぱいで、空気圧をチェックしにくる人が目につく。

クルマの春一番は、今日だったのかもしれない。

夕餉は、キャベツ・パプリカ・カニカマのサラダ、中華スープ、女房が作ったキーマカレー。食後にコーヒー、ケーキ。

 

 

14000分の1

 

おおむね晴れ。9度。

8時に起きる。

朝餉は、カボチャと大根の鶏そぼろ餡、味噌汁(人参・玉葱・ネギ・豆腐)、トースト。食後にコーヒー。

女房の運転で信楽へ。割ってしまった女房のマグカップを新調に。

朝ドラ『スカーレット』の撮影舞台となった登り窯の窯元に、景色の良い緋色のマグカップを見つける。

ちょっと値が張ったが。気をつけます。

帰りに立ち寄った窯元で、TannoyやAltec Lansing の古い15インチ・スピーカーがビル・エバンスを奏でている。管球アンプは自作のらしい。半世紀以上も前のそんなスピーカーに目を止める客はいなさそう。音楽が生まれた時代と、オーディオの生まれた時代が一致しているので、聴こえてくる音が無理してない。手間のかかる機械から、生きるのが下手だったミュージシャンの音像。

遅い昼餉は、縞ほっけの焼き魚定食。信楽焼の釜で炊いたご飯。その店では、Bang & OlufsenのBluetoothスピーカーのメリハリのある音。

登り窯で焼き締めた器は、音がとても高い。濁りのない澄んだ音。電気窯で焼いたのとは別物のよう。僕の素焼きの信楽と、買ってきた女房の信楽とで音合わせみたいなことを。

「半音高いね」と女房が笑う。コーヒーを一口飲んで下げてみる。

夕餉は、コンニャクと大根の甘辛炒め、味噌汁(人参・玉葱・ネギ・豆腐・ワカメ)、玄米ご飯。食後にコーヒー、クッキー。

14000個も焼ける窯に火を入れるのは年に3回とか。伺ったのは窯出しの日だった。

 

 

横殴りの春

 

雨、のち曇り。6度。

8時に起きる。

朝餉は、キャベツ・パプリカ・レタス・竹輪・カニカマのサラダ、ソーセージと目玉焼き、味噌汁(人参・玉葱・カボチャ・豆腐・ネギ・菜の花)、トースト、ミックスフルーツ茶。食後にコーヒー。

緑内障の治療を続けている女房。生命保険の加入では、そこが引っ掛かってしまう。改めて見直すことに。

三色ちらし寿司に続いて、今日は甘いものを食べる。女房は二個。

昼餉は、彦根のカフェでチーズケーキ、コーヒー。外はみぞれの嵐。

図書館で本を借りる。畠佐代子著『すぐそこに、カヤネズミ』(くもん出版)、コンスエロ・ド・サン=テグジュペリ著『バラの回想 夫サン=テグジュペリとの14年』(文藝春秋)。

夕餉は、ほうれん草の胡麻和え、カボチャと大根の鶏そぼろ餡、味噌汁(人参・玉葱・小松菜・ネギ・豆腐)、玄米ご飯。食後にコーヒー。

 

 

我楽多

 

曇り、のち雨。8度。

8時に起きる。

朝餉は、りんご、ジャーマン・ポテト、大根の煮物の残り、きんぴら、味噌汁(人参・玉葱・ほうれん草・豆腐・ネギ・エノキ)、トースト。食後にコーヒー。

濡れそぼつ中を、彦根の骨董屋に女房が持っていった陶器や漆器は値がつかなかった。引き取ってくれるなら、と女房は預けて店を出た。骨董屋のオヤジは、家に来て残ったものを検分するという。

昼餉は、ワカメスープ、野菜とベーコンの焼きそば。食後にコーヒーとどら焼き。

夕方、骨董屋が訪う。

「たいそうなモノは、ほんとありませんよ」

女房が笑いながら念押ししたのに、強くなった雨足の中をやってきて、僕らが捨てようかと思っていた物を「これが好みです」と言って持ち帰っていった。

実は、手元に置いておきたいものもあった。壁に飾るのも、用を足すことの一部かもしれない。景色の良いものを見つけ、ふさわしいところで歳月を送らせる。それも、ある意味では、使うことかと思う。

もっとも、使い続けてきたものならいざ知らず、たまたま押入れの奥で眠っていたものに情けをかけていたらキリがない。諦めて、黙っていた。

夕餉は、ほうれん草の胡麻和え、味噌汁(人参・玉葱・カボチャ・ネギ・豆腐)、三色ちらし、りんご。食後にコーヒー。

Appleは、OS群のパブリックベータ ・プログラムを更新してβ4をリリースした。

 

 

お子ちゃま

 

おおむね晴れ。夜に雲。11度。上巳の節句。
8時に起きる。
朝餉は、りんご、大根・カボチャ・豚バラの煮物、味噌汁(人参・玉葱・小松菜・ネギ・油揚げ)、トースト。食後にコーヒー。
女房の鼻炎が再発。今年もそういう時候に。
多すぎず、少なすぎず——按配ということについて、折々に触れて思う。
一人前になるとは、その適当が何事についてもわかるということ。大人とは、なにはさておき、按配がわかるヒトのことだ。
なにぶんにも自分はわかっていない。だから、そういう人物に巡り会ったためしがないと大見得を切ったりする。恥ずかしいことだ。
そういう存在に気づけないのは、こちらに度量がないからだが、それを世間のせいにする。その時点で、お子ちゃまである。
昼餉は、大根の皮・人参のきんぴら、野菜たっぷりの塩ラーメン、食後にコーヒー。
ドラッグストアに紙製品がことごとくない。半世紀前の出来事が僕らの速成DNAに植え付けられてからこちら、退っ引きならない何かが起きると、あの血が騒ぐ。
その遺伝子が、僕らには欠落している。あらあら、などと言いながら空っぽの棚を眺めている。困ったことで。
夕餉は、きんぴら、大根・カボチャの煮物、味噌汁(人参・玉葱・小松菜・ネギ・豆腐)、納豆・カニカマ・玉葱の卵とじ丼。食後にコーヒー。

 

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佐々木文具店の姿勢

 

晴れたり曇ったり。13度。

8時に起きる。

朝餉は、厚揚げ・コンニャク・大根の煮物、ブロッコリー、りんご、フランスパンの卵トースト。食後にコーヒー。

女房の運転で湖北へ。道の駅で野菜を求める。

敦賀の駅まで行って、保険の担当者氏に勧められた蕎麦を食したいと女房はどこかで思っていたかもしれないが。

昼餉は、木之本と伊吹で山菜おにぎり、伊吹の食パン、ういろう、白湯。

伊吹山麓の佐々木文具店に寄る。かねてより行きたいと思っていた。小さな小さなお店。目利きは、店主の若い女性。店に入ると、3歳くらいの女の子が「いらっしゃい」と小さな声で迎えてくれる。

品数は50点に満たないと思うが、独自ブランドの一筆箋なんかもあって、見ていて安らぐ。なんなのだ。深くどっぷり浸れそうな、この気分は。

あれこれ見てまわって、少しだけ異質な感がある陶器の角皿と小瓶を求める。小さいのに、佇まいがゆったりしている。

由来を尋ねれば、東京に暮らしていた祖父母の手捻りという。「道」と銘の入ったのがおばあちゃんの作で、ぽってりとして端正なのがおじいちゃんという。

二人が亡くなって、形見分けにと大量にもらってきたのを店先に並べている。

「そんなのを売ったりして、と祖母に叱られるかもしれないので」

と店主が笑う。

「だから、儲けようとはしてません、っていうくらいの値段です」

話を聞いていたら、全部欲しくなった。でも、下品なことはするまい。

また、ふらりと尋ねて、売れ残っていたら買い足そうと誓って店を後にした。

週に2日しか暖簾をあげていないこんな店が好ましい。量販店の品揃えとは似ても似つかぬ。一つ一つに来歴やら由来やらあるだろうに、ぶっきらぼうに見えるほど素っ気ない。

夕餉は、大根の煮物の残り、味噌汁(人参・玉葱・小松菜・豆腐・ネギ)、チャーハン。食後にコーヒー。

 

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