身の危険

 

おおむね晴れ。35度。

6時に起きる。

朝餉は、キャベツとレタス、キュウリ、コーン、さつまあげのサラダ、味噌汁(人参、ズッキーニ、小松菜)、ハムと目玉焼き、ミルク、麦茶。食後にコーヒー。

女房はクワイアの打ち合わせなど。夜遅くに戻る。

昼餉は、小豆団子、コーラ。

5キロをジョグ。灼熱。ちょっとクラクラしたり。

夕餉は、焼きそば、麦茶。

正座いたしましょ

 

おおむね晴れ。35度。ヒロシマ原爆投下の日。

6時に起きる。

朝餉は、キャベツとレタス、パプリカ、玉葱、コーンのサラダ、味噌汁(人参、小松菜、玉葱、ズッキーニ)、ハムとスクランブルエッグ、トースト、ミルク、麦茶。食後にコーヒー。

女房はクワイヤの打ち合わせなど。夜に戻る。

甲子園の高校野球が始まる。

デュオ・アルバムは数多あれど。

ディーク・エリントンとレイ・ブラウンの『This one's for Blanton!』は、ジミー・ブラントンに捧げた一枚。この世を去る2年前に録音したとき、エリントンは七十を超えていた。爺さんになって極め付きを遺した。ただただ、凄い。

そりゃあなた、夭折したジミー・ブラントンのことがどれほど強烈だったことか。その思い出に身を任せたアルバムは、デュオの代名詞となった。

昼餉は、クラッカー、チーズ。

4キロをジョグ。目が眩むほどの暑気。

レイ・ブラウンもこのとき四十を超えていたと思うが、演奏はブラントンを仰ぎ見るブラウンの眼差しがそのまま音になっている。ジャズマンが襟を正すというのもおかしな言い方だが、黒人のジャズマンはこうやってバトンを渡すのだと、こちらまで襟を正す。

灼熱だからこその一枚。

夕餉は、醤油ラーメン、麦茶。

女房が買ってきた小豆パンを半分ほど。

 

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みずからを物語ることとは

 

おおむね晴れ。34度。

8時に起きる。

朝餉は、キャベツとレタス、パプリカ、玉葱、コーンのサラダ、味噌汁(人参、玉葱、ズッキーニ、小松菜、豆腐)、ホットケーキ、アールグレイ、麦茶。食後にコーヒー。

パウラ・モレレンバウムは、ジョビンの直系のディーバ。’93年の初アルバムにはジョビンも名を連ねている。最新作の「Atlantico」は響きもリズムもワクワクする。換骨奪胎していくボサノバを、ボサノバをこよなく愛でる人々はどう感じているだろう。

昼餉は、ホイップクリーム添えのホットケーキ。

6キロをジョグ。

長らく履いていなかったBrooksのPureConnectで走る。シューズのストックがいよいよ底を尽きつつある。

それが息吹たる資格を有しているのならば、自ずと迎え入れられ香しき頁を加えることとなる。すべての新しきものは、流れに身を晒すことで、祭壇に進み出で、出自を問われ、行く末の有無を告げられる。

今は一世を風靡していようとも、それが続くことを保証する手形とはなり得ない。

女房が作った夕餉は、鳥ひき肉の焼き茄子、味噌汁(人参、玉葱、ズッキーニ、ジャガイモ、豆腐)、おこわ、ずんだお萩。

 

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囲碁もゴルフも

 

晴れ。34度。

8時に起きる。

朝餉は、ずんだ餅、キャベツとレタス、パプリカ、トマト、カニカマ、ハムのサラダ、味噌汁(人参、玉葱、ジャガイモ、ワカメ、豆腐、ズッキーニ)、玉子サンド、ミルク、麦茶。食後にコーヒー、コーヒーゼリー。

女房は友人と観劇へ。夕方に帰る。

NHKの将棋と囲碁のトーナメント。

囲碁は、謝依旻6段が呉柏毅5段を7目半差で退ける。大きな振り替わりを選んで、その後も攻め続けた。トーナメントに出場した女の子たちは、勝ちっぷりがいい。

昼餉は、チーズ、プリン。

7キロをジョグ。このあたりでは、猛暑でも走る人がちらほらいらっしゃる。ランニング王国だ。

夕餉は、女房が作った焼きそば、味噌汁(人参、玉葱、豆腐、ズッキーニ)。食後にコーヒーゼリー、麦茶。

真夜中、全英女子オープンゴルフを見続けた。

優勝したのは渋野日向子さんだった。プロになりたて。海外メジャーも初めて。物怖じしない女の子で、移動中の観客とのタッチと笑顔で愛嬌を振りまいた。

バックナインも半分過ぎくらいから、実力者たちに力が入り、顔が強張っていくのと対照的に、お握りやつまみを食べるところをカメラに撮らせたりなんかして、なんだかとても愉しそうにしていた。18番で見事なバーディーを決めての勝利は、文句のつけようがなかった。

良いことが起きるから笑顔になるのか、笑顔だから良いことが起きるのか――きっと後者なんでしょうね。実況がそんなことを話している。

でも、彼女は常にスコアボードを見続けて、自分の位置を確かめながらプレーしていた。ただの天然ちゃんではない、したたかな読みとか招き寄せる術も備えた、どちらかというと勝負師の顔を見せてもらったような気がする。

最後のパターも、スリーパットでもいいから強く打ったという。ボールはカップの反対側に勢いよく当たって沈んだ。

 

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黙って見ている

 

おおむね晴れ。36度。

8時に起きる。

朝餉は、キャベツとトマト、大豆、玉葱、カニカマのサラダ、焼き茄子、味噌汁(人参、玉葱、ワカメ、ズッキーニ、豆腐)、トースト、豆乳、麦茶。食後にコーヒー、胡桃。

家宅侵入をして盗み、殺した。申し訳ありませんでしたと謝罪したものの、その男から改悛の情が伝わらないまま、刑期は終えた。その家にまた出向いた男は、あろうことか「やあどうも」と言ってうすら笑う。妻子を殺された主人は、わなわなと震えている。

「もう、勤め上げたんで」と言いながら、男は寝転んで羽根を伸ばす。

謝罪は終わった、と謝罪する側が決める。

そんな国に、為政者はこの国をしようとしている。

国々は、そういう国のことを黙って見ている。そして、その国の性根を黙って見極める。誰も、そのことについて言わない。だが、みんなそのことを忘れない。

二人して買い物へ。靴底が灼熱化して、アスファルトの窮状が伝わってくる。

昼餉は、ずんだ餅。家のそばの団子屋のずんだは1本60円也。たっぷりの餡とふくよかな餅。混じり気なしの枝豆の甘み。団子屋の夫婦の静けき手先。

NHK総合で片瀬須直監督の『この世界の片隅に』。エンディングの少女との邂逅のシーンをすっかり忘れている。それだけに、鮮やか。

ストリーミングでもあえて観ていなかった。多くの人がご覧になっただろう。そして、今の時代の脆さに思い至ったのでは。玉音放送の後のすずさんの慟哭。片隅に生きていようと、その覚悟のほどを知る。為政者に、彼女ほどの覚悟のありやなしや。

夕餉は、切り干し大根、肉団子の甘酢あんかけ、納豆、味噌汁(人参、玉葱、揚げ、豆腐)、玄米ご飯、麦茶。

今の為政者は知らない。謝り方に、その者の性根があらわれることを。

相手がどうの、ではない。

それは、徹頭徹尾、己のこと。

 

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ちゃんと、持っている?

 

おおむね晴れ。36度。

6時に起きる。

朝餉は、キャベツとパプリカ、大豆、トマト、カニカマのサラダ、味噌汁(人参、玉葱、キャベツ、豆腐、ズッキーニ)、ハムとスクランブルエッグ、トースト、豆乳、麦茶。

女房はクワイヤの打ち合わせと友の見舞い、観劇。夜遅くに帰る。

ん? これは『砂の器』だなと思いつつ観た。福澤克雄監督『祈りの幕が下りる時』。原作は東野圭吾の加賀恭一郎シリーズだが、テレビのシリーズも含めてじっくり観たのは初めてだ。物語の展開に難ありだし、重要なのに回収しきれていない筋があったりで、途中で投げ出すところを松嶋菜々子の演技に助けられる。彼女は最小の演技で最大の効果を生み出している。男優はおしなべて押され気味。

昼餉は、チーズと胡桃。

貿易管理の優遇対象国から除外したことで、隣国との関係はさらに悪化の一途をたどっている。歴史教育の在りようについて考えさせられる。近代の我が国を三学期の最後に当てる歴史教育はどうかと思う。他国を云々する前に、普遍性を希求する歴史観について学んでいないことを痛感する。他国と交わるとき、僕らが常に問われるのは、己の歴史観をどのように持っているかという一事だと思う。

他国だってそうじゃないか――そんな反駁に依らない身の処し方を過去の人々は持っていたように見えて仕方ない。個々の処し方が問われている。それが国家を律するのだと思う。

鬼畜米英と叫んでいた大人どもが、あの日を境に米国大好きに豹変した。大人ども――そういうことについて、僕らは暢気なものだと思う。この国は、いつの間にか、また息苦しくなっている。それをひしひしと感じる。

豹変しつつある大人どもを、見極める目。僕らが常に養うべきは、それのみである。

夕餉は、醤油ラーメン、玄米ご飯、麦茶。

阿部寛好きの女房が知らない映画だったので、遅くに帰ってきた女房ともう一度観ることに。2年前にロケしていたはずなのに、僕らはなにも知らなかった。

「ひと声かけてくれればねぇ、アベカン」

わけのわからないことを言っている女房は、案の定、最後に涙を流す。

 

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一隅を照らす音

 

おおむね晴れ。36度。

7時に起きる。

朝餉は、目玉焼き、トースト、ミルク、烏龍茶。

ソファで寝ると躰のこわばりが取れない、のも昔と変わらない。それが嬉しくもあり、悲しくもあり。

人が住まない家が少しずつ崩れていくのは、たまに帰ってくるから感じるのだろう。住んでいようがいまいが、家はつねに崩れているのだ。

昼餉は、クラッカーとチーズ、麦茶。

猛暑を泳ぐようにして買い出しに行くと、フードコートでたくさんの人が惚けた顔で涼んでいる。

ルイス・ボンファのギターを堪能するとしたら、なにはともあれコンチネンタルがリリースした『luiz bonfá』だろうと思う。ほんとに素晴らしいプレイが聴ける。

それから、これも欠かせない。 『SOLO  IN  RIO 1959』は彼のギター・ソロをたっぷり愉しめる。涼しげな爪引き。それに彼の歌声。うだるような日々への贈り物だ。

夕餉は、冷奴、チーズハンバーグ、味噌汁(人参、玉葱、豆腐、キャベツ)、玄米の豆ご飯、麦茶。

ちょっと遅れたが、先月17日にルトガー・ハウアーが亡くなった。90本近い映画、テレビで演じたが、彼の名を永遠に刻むこととなったのはロイ・バティを演じた’82年の『Blade Runner』だろう。彼がいなければ、この映画はずいぶん違った印象をもたらしたに違いない。

鎮魂に、ボンファの曲『Manha de Carnaval』を。

 

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そのままであらんことを

 

おおむね晴れ。35度。

7時に起きる。

朝餉は、レタスとキャベツ、コーン、トマトのサラダ、冷奴、味噌汁(人参、ジャガイモ、豆腐、玉葱)、ハムと目玉焼き、トースト、ミルク、麦茶。

青春18キップで女房と東京へ。10時半の電車で米原を発ち、6回の乗り越えで到着。僕らと同じような旅人の姿もちらほらと。

昼餉は、ピーナッツバターを塗った食パンや菓子パン、麦茶。

東海道線の鈍行の主は、部活帰りの子ども達。日焼けした肌。シューズやユニフォームを入れたバッグを床に置くと、スマホに見入る。駅ごとに顔ぶれは入れ替わっても、そのスタイルは変わらない。女の子は参考書を広げて、男の子たちに目を走らせている。

富士山は雲の中、清水の海は陽炎の中。

そういえば、昼下がりに走っていると子ども達の姿をめっきり見なくなった。熱中症で運ばれるのは、大多数が年寄りだ。

夕餉は、味噌ダレのつけラーメン。

家に帰り着いたのは8時過ぎ。花林糖と烏龍茶。尻が痛む。

サウナのような2階の寝室を避け、二人して居間で寝る。

AppleはOS群のパブリックベータ ・プログラムを更新してβ4をリリースした。

今月のまとめをば。アクティビティは19日、総距離は162キロ。スクワット、プッシュアップ、腹筋は3セットをほぼ毎日。

 

 

生まれ変わり

 

おおむね晴れ。32度。

8時に起きる。

朝餉は、昨夜の残りのマッシュポテトとラタトゥイユ、レタスとキャベツ、コーン、キュウリ、カニマカとハムのサラダ、味噌汁(人参、キャベツ、玉葱、ズッキーニ、豆腐)、レーズンロールパン、豆乳、麦茶。食後にアイスコーヒー。

カーテンを開けて、庭に目をやる。シイの木で蝉が鳴いている。目の前に植わっている名も知らぬ細い木のさらに細い枝の先に、蝉の抜け殻。声の主の置き土産かしらね。

昼餉は抜き。

8キロをジョグ。後半は這うようにして。

夕餉は、レタスとキャベツ、もやしのサラダ、ハムと野菜のポン酢炒め、焼いたナスとズッキーニ、味噌汁(人参、キャベツ、豆腐、玉葱、ズッキーニ)、ざる蕎麦、麦茶。食後にアイスコーヒー、ミルク杏仁豆腐。

 

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額装したい

 

おおむね晴れ。32度。

8時に起きる。

朝餉は、キャベツとレタス、トマト、コーン、ツナのサラダ、さつま揚げとスクランブルエッグ、トースト、紅茶、麦茶。

紅茶と麦茶――コップに入った二つのお茶は見分けがつかない。なぜ、紅茶がコップに入っているのか、については別の問題というか。

というよりも、紅茶はコーヒーカップにちゃんと注いであるのに、コップに入っていると思い込んでいるのは、この暑さのせいなのかと。

縁側の机でげんなりしていると、冷え冷えのバナナヨーグルトジュースを作った女房が「どうぞ」と背後からコップを差し出す。そのさらに背後からは、ずっとモーツァルトのピアノ・ソナタが鳴っている。

音楽は涼しげなのに、言葉は浮かばない。

昼餉は抜き。

6キロをジョグ。

本が届く。長嶋有著『猛スピードで母は』(文藝春秋社)、柴崎友香著『春の庭』(文藝春秋社)。どちらも芥川賞受賞作。

前者は、佐野洋子さんの著作に登場している。友人が連れてきた息子くんは、いつも笑顔を浮かべて物静かだが、ある日、芥川賞を取ったと聞いて佐野さんはびっくりするのだ。さらに、息子くんは本の装画を佐野さんにお願いして快諾される。それがこの本だ。

この絵、一度見たら死ぬまで残りそうな残影を伴っている。長嶋さんと佐野さんのつながりは、佐野さんのエッセイを読まなければわからないが、本書に収録の『サイドカーに犬』に登場する洋子さんは、佐野さんだろうと誰もが思う。息子くんは、佐野さんのことを会う前から敬愛していたのだろう。

本のほうは1円で、送料はその250倍以上する。

夕餉は、マッシュポテト、女房の夏野菜のラタトゥイユ、サバの味噌煮、玄米ご飯、麦茶。

 

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作品という魔物

 

曇り、ときどき日差し。31度。

7時に起きる。

朝餉は、野菜たっぷりのコンソメスープ、ラタトゥイユをのせた蕎麦粉のガレット、豆乳、麦茶。女房がガレットを作るのはなん年ぶりだろう。

NHKの将棋と囲碁のトーナメント。

たとえば、ブラームスの交響曲第1番が完成までに21年の歳月を要したといわれると、凡人はまさかと思う。自分の根気のなさを棚にあげて、正味はせいぜい半年とかだろ、と勘ぐってみる。

第2番以降はポンポン作っているんだから、いくら背後からベートーベンの交響曲のプレッシャーに悩まされていたとはいえ、大半は他の仕事に没頭していて書きかけのスコアは存在も忘れていたに違いない。そう決めつけて、なぜか、どこかで安心する。実に手前勝手なことである。

構想から完成まで10年といった類いの作品は、映画にも絵画にも建築物にも書物にもゴロゴロある。それらも、多くの時間は頓挫していたか、頭の中に眠っていただけのことだろう。そんなふうに貶める傾向が僕にはある。貶めて、免罪符を得ようとするのはなぜだろう。

昼餉は、胡桃。

4キロをジョグ。這うようにして。

アニメーション会社の建物に火を放った男は、自分の作品を盗まれたと言っていたそうな。剽窃されたという怒りが、火を放つという行為に現れている気がする。すべてを焼き尽くし、無き者にするという感情は余程のものだ。

作品は、そういう怨みを伴って生まれてくることがままあるらしい。苦労して作った者はたまらないが、いったん発表したものは、自分のものではないという、これもまた芸術的な表現があるくらいだ(こういう曲解も、作品にはべったり張り付いている)。

夕餉は、冷奴、サバの味噌煮、キムチの炒飯、麦茶。食後にアイスモナカ。

そのアニメーション会社が作ったものを僕は寡聞にして存じ上げなかったので、いかに愛されていたかという報道を見ながら思ったものである。愛の強さは、その逆の感情を抱く者の蠢きを物語っていると。真逆だが、二つの感情を同時に抱く人間だってこの世にはふつうに存在する。

遣る瀬ないことだが、作品はつねに晒されている。

 

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鳥たち

 

雨。26度。台風が通過。

7時に起きる。

朝餉は、唐揚げ、カボチャのスープ、BLTサンドイッチ、麦茶、豆乳。食後にコーヒー、胡桃。

鳥人間コンテストは、今日のプログラムが途中で中止に。明日は行われるらしい。駅前のホテルにもそれとおぼしき若者たちが投宿しており、夜のスーパーはいつになく華やいで見えるものの、来月の閉店が決まっている。

昼餉は、抜き。

エディタの『stone』がアップデートしてVer.1.1.4になった。開発者たちは直したつもりだが、カーソルが消えてしまう症状が残っている。句読点の間隔にばらつきが出ているのは新しいバグだと思う。少しずつでも改善しているのかな?

台風は上陸してから温帯低気圧になった。気圧の変化で足首がむくむ。

心を丸ごと持っていかれそうな夕焼けが現れる。

夕餉は、レタスのサラダ、切り干し大根煮、茶碗蒸し、玄米ご飯、麦茶。食後にアイスモナカ。

ポール・ルイスが弾くシューベルトのピアノ・ソナタを聴いている。ライフワークとしてリリースするアルバムはどれも、彼が稀代のシューベルト弾きであることを教えてくれる。

食後に散歩。コウモリが飛んでいる。

 

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気づくのが遅い

 

曇り、夜から雨。30度。

7時に起きる。

朝餉は、バナナとヨーグルト、味噌汁(人参、ズッキーニ、玉葱、サツマイモ、豆腐、エノキ)、BLTサンドイッチ、ミルク、麦茶。

キーを叩くより、万年筆を使うほうが淀みなく紡げる。細かいバグに心の内で毒づいていると、いつの間にかそっちのほうが忙しくなっているらしい。

昼餉は、アイスコーヒー、フレンチフライ、チーズバーガー。

PCもインターネットも、根っこのところではうんざりしている。世話ばかり焼かせやがって、と。

ほんとは、世話になってばかりなくせして。

せめぎ合って、はや40年――なんかの宣伝みたいだ。これも毒づきの延長だとしたら、相性は決してよくない。

女房とマクドナルドに4時間。冷え冷えとして表に出る。

酒を求める。Johnny Walker 12年。大ぶりのハイボール・グラスが付いたほうが安い。そんなグラスはいらないのだが。

夕餉は、カボチャとサツマイモ、夏野菜のスープ、唐揚げ、素麺、麦茶。食後にクッキー、胡桃。

台風6号が近畿に近づいている。 

 

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おそれ、おののけ

 

曇り、ときどき日差し。33度。

7時に起きる。

朝餉は、ヨーグルトをかけたバナナ、キャベツとレタス、コーン、トマト、ピーマン、玉葱、カニカマのサラダ、味噌汁(人参、玉葱、サツマイモ、ズッキーニ、豆腐、エノキ)、トースト、紅茶、豆乳、麦茶。食後にアイスコーヒー。

縁側の机は座ってられなくなる。

食卓で試験勉強に励む女房は汗だくだ。壊れたエアコンの代わりの扇風機もタイマーが動かないとか。ま、それでもまだ回っているが。

昼餉は、殻付きピーナッツ、食パン半切れ、麦茶と葛餅。

分業が進むと、真っ先に「食」が手から離れていく。都市生活者のあなたは豚や牛、鶏の屠殺をたぶんやったことがない。最初に屠殺が手から離れたのは、血や骨の始末に困ったからだろうと思う。屠殺では、おびただしい血が流れるのだ。

高度な分業が、実態を見えなくしていく。社会は、美しくあらねばならないと錯覚する。法律で何重にも守られている暮らしでは、理不尽なことが起きると「あってはならないこと」と言われるようになる。細断化されただけのことで、基本的なことはなにも変わっていないのだが、高度に分業が進むと、その高度化が特別な力のように思えてしまう。

子牛の肉を家族で食す。30ヶ月後に屠殺されると知らず、子牛はこの世に生まれ落ちる。ほとんどの肉はだいたいそうだ。

UNICEFがCMを流している。栄養失調の赤ん坊にはもう時間がないと。1日100円の募金でその子が助かると。

一方で、おびただしい家畜が肉として生まれ、肉として出荷されていく。

日々は繰り返され、新しいと言われる価値が作られていく。だが、おおもとのところでは、何かが変わったわけではない。

多くが死に、多くが生まれる。

夕餉は、ニラ玉、ズッキーニや茄子のラタトゥイユ、玄米ご飯、麦茶。食後におはぎ。

大暑らしい日々――片時も忘れずに生きるのはむずかしいことだろうか?

 

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酷似する物事

 

晴れ。31度。

7時に起きる。

朝餉は、レタスとキャベツとパプリカ、トマト、ツナ、コーンのサラダ、味噌汁(人参、玉葱、サツマイモ、豆腐、エノキ)、ゆで卵のロールパン、紅茶、豆乳。食後にアイスコーヒー。

発表は今日だったが、実は昨日から梅雨は明けている。蜘蛛が教えてくれるのだ。糸を張るのに本腰を入れていた。彼らは、糸の湿り気のような疑いようのない兆候で動いている。僕らのように、判然としないものにすがったりはしない。

だからというわけではないだろうが、ヒトのことを蜘蛛は無視している。でなければ、庭の入り口にあんなでっかい巣を張ったりはしない。忙しくて、眼中にないのかもしれないが、その点では僕らも酷似している。

昼餉はシリアル、ロールパン2個。

7キロをジョグ。汗だく。

テレビを観ていて、んっ?と思っていると、隣の女房がツッコミを入れる。そのタイミングまで僕化している。

ちょっと、それはまずいでしょ。そう言ってやりたいが、感化されている方は気づかないらしい。ツッコミの張本人のほうは、黙って画面を見ている。

酷似化する夫婦の、具体的で不可避的な例証。

ご同輩はどうか知らないが、僕は差異を差異として愉しむことに機微を見い出したい、文句なしにそちらへ一票だ。

夕餉は、ニラとズッキーニ、ナス、揚げ豆腐、ハムのポン酢炒め、ざる蕎麦、麦茶。食後にアイスコーヒー。

英国の首相になる人は、ユーモアを解するやんちゃ坊主らしい。10月には『でもしかはナシ』でEUを離脱すると断言してみせた。

 

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