説諭かもしれない

 

晴れ。17度。

7時に起きる。

朝餉は、バナナとリンゴ、トースト、コーヒー。

ツバメの縦書きノート、アンクル丈のコットンパンツを求める。ユニクロはいつの間にかセルフレジになっている。カゴを精算テーブルに置くと、商品の点数と金額が自動で読み取られる。家でタグを裏返してみたら、RFIDが貼り付けられていた。スーパーこそ、こういうICダグが向いている。バスケットいっぱいの精算が瞬時に終わる。ユニクロで得られる恩恵とはワケが違う。

彦根城の桜も開花している。場所によっては八分咲き。

14キロをジョグ。

昼餉は、食パン、シリアル、コーヒー。

二つの音楽ドキュメンタリー。一方は『スプリングスティーン・オン・ブロードウェイ』、他方は『Rolling Stones ★ Ole Ole Ole』。両方とも歳を取った悪ガキのステージだが、前者はずいぶんお行儀良くなって、後者はいくつになっても同じに見える。

前者はブロードウェイで小ぢんまりと、後者は南米ツアーの国々で数万人規模だ。ハイライトのキューバでは野外ステージで観客を失神させる。キューバでは、ロックンロールがまだ自由の象徴のようだ。ローリング・ストーンズはギリギリ生き残ったバンドだが、キューバはひょっとしたら、ギリギリ生き残った楽園なのかもしれない。両者の邂逅は、両極端のようでいて似た者同士に見える。表面的にはともかく、うんざりしているところまで似ている。

ブルース・スプリングスティーンは完成された舞台を見事に演じているが、観続けていると息が詰まりそうになる。松山千春とか長渕剛のよう。どこか鼻につくのだが、それは説教臭さによるのだろう。

 

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あの時の楽観

 

晴れ。未明に雨。14度。

7時に起きる。

朝餉は、リンゴとバナナ、トースト、ミルクとコーヒー。

昼餉は、シリアル。

10キロをジョグ。昨夜の雪で伊吹山が雪化粧。

夕餉は、ハムの野菜炒め、焼きそば、コーヒー。

古い映画をあれこれと。これまで気づかなかったシーンや台詞。

『Blade Runner』の冒頭を何度も再生する。作られたのは’82年で、近未来の設定は2019年11月なのだった。液晶テレビもスマホもない代わりに、空を飛ぶクルマや太陽系外へ植民していく人間、雨が降り続けるロス、人と見分けられないアンドロイド。

そんなふうになりそうな予感を抱きながら見ていた近未来は、描かれていたようにはならなかった。40年先ならなんでも実現していると思ったものだが、それではこの先の40年はどうだろう。それが意味ある問いとも思えないのは、なぜだろう。

『2001年宇宙の旅』は、その設定が18年前に過ぎてしまった。当時、それはほぼ実現されるだろうと確信していたかもしれない。

今日を明日につなぐのとは別の、大きな飛躍となるものがこの先に待ち受けているのだろうか。

 

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新しい酒

 

おおむね晴れ。8度。日本海側で雪。

8時に起きる。

朝餉は、味噌汁(大根、カボチャ、人参、玉ねぎ、小松菜、豆腐、ネギ)、炒飯、コーヒー。

11キロをジョグ。北北西の風。

昼餉は、ロールパン、ミルク、コーヒー。

ウィスキーを求める。バランタインの『Barrel Smooth』。Finestと12年の間に入るグレードで、味わいもそんな感じだ。バランタインに共通の複雑なモルト・テイストは探せば見つからないこともない。

原酒枯渇のこの世界で、摩訶不思議な新製品の開発に勤しんでいることを公言する。その気分はどんなだろう。出せば売れる。一方で世の酔っ払いたちは、充血した目で眺め、朦朧とした頭で判断している。ディスティラリーがやっていることの一部始終を。

夕餉は、ポテト、フライドチキン、パイ、コーラ、シリアル。

女房がいない時だけのケンタッキーは禁断の味。おかげで胸焼けがおさまらない。

 

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不仕合せの確認

 

雨のち日差し。7度。

8時に起きる。

朝餉は、りんご、キャベツとレタス、キュウリ、ツナのサラダ、ベー

コンと目玉焼き、味噌汁(大根、人参、小松菜、豆腐、ネギ)、トースト、コーヒー。

女房を乗せて長浜へ。税務署はガランとしている。彼女が手続きするあいだにも、相談に来る人がボツボツいる。

昼の電車で女房は東京へ。青春18切符の一人旅。クワイアの催事を済ませて週末に戻る。

昼餉は、ドイツパン、シリアル、コーヒー。

3キロをジョグ。走り始めてすぐ土砂降りに。

坂本龍一を聴いている。

表参道あたりのギャラリーでいつも流れていたミニマルといえば、この人の右に出るものはなかった。聴きこむというより、インスタレーションを満たしていくアトリビュートのひとつとして、ほかの作品の内部へと侵食していく浸透圧のような音のイメージが僕には強くある。

空間を把握する彼の力はちょっと建築的であり、それは支配するというより少しずつ内奥していく狂おしさとか、居たたまれなさとか、もどかしさのような焦燥として届くこともある。

枯渇している反面、満たされてもいる。その背反性を味わう音楽なのかもしれない。

音楽が持っているユーモアという側面がこの人の音楽には希薄で、がんばってもウイットがやっとという、ある意味では貧相にも見える音の連なりが、疲れつつある脳には心地よく響くのかもしれない。

一日の終わりに、ちょっと嘆く。ほんのりと立ち上がる絶望。そんな時間にふさわしい音楽は、彼おいてほかにない。

夕餉は、味噌汁(大根、人参、カボチャ、玉ねぎ、豆腐、ネギ)、チャーハン。

 

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万和、久和、広至、英弘、万保

 

曇りのち日差し、雨。8度。

8時に起きる。

朝餉は、リンゴとバナナ、キャベツとレタス、キュウリ、ツナのサラダ、ベーコンと目玉焼き、味噌汁(大根、小松菜、豆腐、かぼちゃ、ネギ)、ホットケーキ、コーヒー。

今、Emperorと呼ばれる人は、世界に一人しかいないという。外人がなぜその言葉を使うのか、僕らはわかっているだろうか。

他の国主は、KingかQueenだ。なぜ、一人だけがEmperorなのか。元号はその特異性を象徴している。もっともその歴史は千四百年に満たない。そして、元号はつねに戦いの歴史を背負っている。元号の出典を万葉集に求めたが、その歌集は漢籍の影響を色濃く残している。典拠はさかのぼるほど大陸が顔をのぞかせる。

一方の西暦はキリスト教由来である。すべての紀元は便宜だと思うし、意味を求めようとする愚かしさを知るためにも、紀元は存在する。便宜は、どこまでいっても便宜である。長く続くのは、便宜でしかないからだ。

昼餉は、抜き。

女房の確定申告申請を手伝う。ゆったり構えているところは大したものだが、彼女がなにを考えているのか正直わからない。

国税庁のホームページは出来が悪い。そのインターフェースは前世紀並みだが、それにしても、役人は肝心なところを理解していない。納付に喜びを与えること以上の施策があるというなら教えてもらいたいものだ。

夕餉は、キャベツとレタス、キュウリのサラダ、チーズハンバーグ、サバの味噌煮、コロッケ、味噌汁(大根、人参、小松菜、豆腐、ネギ、とろろ)、玄米ご飯、白湯。食後にコーヒーと花林糖、ババロア。

常にあるもの

 

雨のち日差し。9度。

6時に起きる。

朝餉は、りんご、レタスとキャベツ、キュウリ、ツナのサラダ、ベーコンとスクランブルエッグ、味噌汁(大根、小松菜、ジャガイモ、ネギ)、トースト、ミルク、コーヒー。

女房の最後の出勤日。

3キロをジョグ。北西の風。

今月の総括をば。アクティビティは15日、総距離は144キロ。

スクワット、プッシュアップ、クランチを3セットずつほぼ毎日。

昼餉は、トースト、シリアル、ミルク、コーヒー。

HBOのドラマ『Generation Kill』を見続ける。湾岸戦争で先遣を務めた海兵隊員の姿を描いている。『Band of Brothers』や『The Pacific』に続く戦記物だ。

どの戦記物もパラノイア気質の上官を描く。それは国や時代を問わないようで、僕らは常にその脅威にさらされている。組織と名のつく集団に彼らは必ずいる。箱から腐ったリンゴがなくなることはないのだ。その彼らには自分が含まれる可能性も否定できない。

つねに、他人事ではないのだと思う。

夕餉は、長浜の寿司屋で。仕事を辞めた女房の慰労を。母の介護の延長で始めた仕事はあまり似合っていなかった。彼女はどう思って働いていたことだろう。

夜、豪雨。

 

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1934年式Ford V8

 

曇りのち雨。12度。

6時に起きる。

朝餉は、リンゴとバナナ、コロッケ、レタスとポテトのサラダ、味噌汁(大根、人参、ジャガイモ、えのき、豆腐、ネギ、小松菜)、トースト、白湯、コーヒー、女房の作った小豆抹茶ゼリー。

女房の出勤日で弁当を。

降る前に、ジョグを10キロ。

昼餉は、弁当おかずの残り、トースト、ミルク、コーヒー、小豆抹茶ゼリー。

Netflixの鳴り物入り映画『ザ・テキサス・レンジャーズ(原題:The Highwaymen)』は、深い余韻をもたらす。ケビン・コスナーがまともなキャスティングを得たのは何年ぶりだろう。それもウディ・ハレルソンが脇を固めていればこそと感じる。監督のジョン・リー・ハンコックは全体の4分の3をどのように描くかでさぞ悩んだことだろう。132分の大部分は、どんな映画であろうと“意味もなく地味だ”と叩かれそうなシーンが続く。だが最後の15分に、それは報われる。

そのシーンを見て叫ぶほどの映像が何気なく描かれている。ロードムービーのお約束であり、アメリカ映画になくてはならぬクルマのシーンに、そのカットは捧げられている。そのシーンのために、この映画はあったのだと言いたくなる。

もっとも、演出の優れた部分はちゃんと別に用意されている。この映画の主人公は、もちろんボニーとクライドである。アメリカにおけるもっとも愛された犯罪者は、この映画では最後まで顔を表さない。その顔がどれほどの驚きをもたらすことか。それこそ、この映画が考えに考えた演出だったのは間違いない。僕らにとって、ボニーとクライドはフェイ・ダナウェイとウォーレン・ベイティであり、それが青春映画のアイコンであり続ける所以なのだ。

この映画で、それはあらゆる意味で裏切られる。秀作だと思う。

夕餉は、豚バラ肉の野菜炒め、サバの味噌煮、味噌汁(大根、人参、ジャガイモ、豆腐、ネギ、えのき)、ポークカレーの残り。食後にコーヒーと和菓子。

 

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345mlの重み

 

曇りのち晴れ。14度。

6時に起きる。

朝餉は、りんご、キャベツとパプリカ、きゅうり、大根、玉ねぎを添えたベーコンと目玉焼き、高野豆腐、味噌汁(大根、人参、カボチャ、豆腐、ネギ)、トースト、白湯。

女房の出勤日で弁当を。

11キロをジョグ。

AppleはOS群のパブリックベータ・プログラムを新たに始め、β1をリリースした。macOS Mojaveは10.14.5、iOSは12.3といった具合だ。目立ったところでは、iOSにはAppleTVアプリが新たに入っている。

昼餉はトースト、ナッツ、弁当おかずの残り。

石塚硝子といえば文政2年に岐阜の可児で創業したガラス吹きの老舗だ。尾張藩の庇護のもとビードロ細工を生業にしていたらしいが、今年末にはめでたく200年目を迎えるという。

ここのロックグラスのカタチは大らかな気分がいい。半世紀前に作った『Aderia』のサージュ・オールド11で夕刻にウィスキーを飲っていると、八角形にカットされた底を手のひらで撫でていることに気づく。丸くて四角くて、厚みがほどほどで。

そうか、と気づく。

作り手はそのつもりで作っていたのかな?

大らかな気分になるこの大きさは、心臓の容積なのだ。

夕餉は、ポテトサラダ、女房が買ってきたアジフライと焼き鯖、味噌汁(大根、人参、ジャガイモ、豆腐、ネギ)、ポークカレー、赤ワイン、白湯。食後にコーヒー、栗ようかん。

ホロヴィッツが演るモーツァルトのピアノ・ソナタが春らしい。

 

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マンデルブロー集合

 

曇りのち晴れ。11度。

7時に起きる。

朝餉は、キャベツとパプリカ、きゅうりを添えたハムと目玉焼き、味噌汁(大根、人参、かぼちゃ、玉ねぎ、ネギ、えのき)、パンケーキ、リンゴとバナナ、コーヒー。食後にコーヒーゼリー。

センバツの一回戦が終わった。関西の街がサクラの開花を宣言したのは昨日だ。1校を除いて、ほかは負けて去っていく。3%の確率に賭けるのは、1校を決めるまでのすべての一挙手一投足に価値があると選手全員がわかっているからだ。全国の出場校にまで裾野を広げると確率は0.02%にもならないが、価値の基準は不変である。

昼餉は、女房が作った豆腐のすいとん汁。

3キロをジョグ。北西の冷たい風。

女房と湖岸のフードコートでたい焼きとコーヒー。

B5サイズのメモパッドに万年筆を走らせる。長い文章を書く。インクを使い切ってしまう長さ。

気ぜわしくまとわりついていた何かが剥がれ落ちていく。長い間、忘れていた感覚。というより、はじめて味わっているやもしれぬ。

何が剥がれ落ちているのか。正体を見極めようとして、前屈みっぽく心象を覗き込む。

夕餉は、女房の作った高野豆腐、豚バラ肉の野菜炒め、味噌汁(大根、人参、カボチャ、小松菜、ネギ)、玄米ご飯。食後にコーヒー、チョコレート。

キーを打つことで躰に溜まり続けたのは、どのようなものだろう。考え方とか、ものの見方とか、何かを得るまでの導出とか。

左手でご飯をいただくようにして、手書きをはじめる。

 

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新旧の意味

 

晴れ。17度。

6時に起きる。

朝餉は、リンゴとバナナ、唐揚げ、コールスローときゅうり、パプリカを添えたハムと目玉焼き、味噌汁(大根、人参、かぼちゃ、えのき、豆腐、ネギ)、トースト、白湯。

女房の出勤日で弁当を。

9キロをジョグ。桜の蕾がはちきれそうだ。

昼餉は、シリアル、唐揚げ、玄米ご飯、コーヒー。

Appleのデザインディレクターであるジョナサン・アイブは、満足がいくまで見切り発車せずにプロダクトを作る、という主旨の発言をした。ジョブズの他界から間もなくのことだったと思う。

それは立派な言葉だったし、力強くもあった。だが、新しいAirPodsが間延びして見えるのも事実だ。メディアは、それがスペックとして、いかによくできているかという点に言葉を割いている。もっともかもしれないと読みながら思う。僕らは、変わらないところの変わらなさ加減について、考え方を改めるよう諭されているのかもしれない。

アイブが工業製品のアイコンを追求していることは想像に難くない。意匠を変えないことで、それは現実のものになるだろうか。

夕餉は、豚バラ肉の野菜炒め、チーズハンバーグ、味噌汁(大根、人参、じゃがいも、ほうれん草、ネギ)、玄米ご飯、赤ワイン。食後にコーヒー、マシュマロ。

2年以上前にリリースされたAirPodsをすべての点で凌駕する他社製はどうやらまだ出ていない。AirPodsの先見性には目を見張るものがある。開発に対する他社の非力さにも気づく。追い越すどころか追いつくこともできない。Appleはハードウェアを作りながら、実は高いロイヤルティを販売しているのかもしれない。

 

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そのアイコンは本物か?

 

おおむね晴れ。14度。

6時に起きる。

朝餉は、ポテトサラダ、キャベツとパプリカ、きゅうりを添えたスクランブル・エッグとハム、味噌汁(大根、人参、かぼちゃ、豆腐、ネギ)、トースト、白湯。

女房の出勤日で弁当を。

Appleの発表はサブスクリプション・サービスが中心だった。だが、価格も内容も未定である。

映像でいえば、Netflixには彼らが切り開いてきた芸術への誓いと誇りがある(それは誰が見てもわかることだ)が、Appleが出版や音楽、映像に捧げてきたテクニカル・タームはそれらの業界とそこで働く人々を支えてきただろうか。レコード店も書店も消えていくのは必然のことだろうか。一方で、サービス事業をやるなら、もっと早くにやっているべきだったと思うのは僕だけではないはずだ。

わかりやすいところでは、iTunesでミュージシャンのプロデュースをしていたらどれほどのレーベルになっていただろう。音楽を愛すれば、それは自ずと出てくる。

Netflixは映像の分野でとてもわかりやすいことをわかりやすくやってきた。わかりやすいこと、と一口にいうがそれは独自の道のりだった。Appleが出版と音楽の分野をガラリと変えたのは、今にして思えば、変わってしまったという言い方が適切かもしれない。そこに変革の意志があったという痕跡は希薄だ(ジョブズが変えると言ったのは別の意味である)。ちなみに、NetflixはAppleのサービスに参加していない。こちらは、意思である。

11キロをジョグ。北西の向かい風。

昼餉は、トースト、ミルク。

Levi'sのTypeIIIトラッカージャケットを求める。リンス・カラーのバングラデシュ製だ。ほかのジーンズ・メーカーがTypeIIIのデザインをトレースするのは滑稽なことだが(Gジャンとしてのアイコンとは思えない)、TypeIIIのデザインが完結しているのも事実だ。

夕餉は、鶏の唐揚げ、キャベツのコールスロー、味噌汁(大根、人参、かぼちゃ、豆腐、ネギ)、玄米ご飯、赤ワイン。

 

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麗しきアルバム

 

晴れのち曇り。15度。

6時に起きる。

朝餉は、リンゴとバナナ、キャベツとパプリカ、きゅうりのサラダ、ハムと竹輪、卵焼き、味噌汁(人参、玉ねぎ、じゃがいも、豆腐、ネギ)、トースト、紅茶。

女房の出勤日で弁当を。

12キロをジョグ。ムスカリの青い花も顔を出している。冬化粧をしていた伊吹山から雪が消えた。

昼餉は、弁当おかずの残り、トースト、シリアル、ミルク。

AppleはOS群のパブリックベータ・プログラムを更新して、正式バージョンをリリースした。新しい機能に大きなものはほとんどないし、修正されたものもほとんどはバグ取りだ。

Appleは3日にわたってハードウェアを発表した。技術的にはともかく、エポックメイキングなものはない。彼らがこじんまりと仕事をしていることは明らかだが、それが彼らの未来を狭めていることを彼らは自覚しているだろうか。その認識のほどを確かめたいのだが、明日の発表に自覚の兆候はあるだろうか。

夕餉は、ポテトサラダ、豚ばら肉と竹輪の野菜炒め、味噌汁(大根、人参、かぼちゃ、豆腐、ネギ)、玄米ご飯、赤ワイン。食後にコーヒー、マシュマロ。

Art Pepperといえば『Modern Art』とか『meet The Rhythm Section』を挙げる人は正統派だろう。だが、愉しいアルバムなら’56年の初アルバム『Surf Ride』はピカイチだと思う。スタン・ケントン楽団にいた頃のハーモニーの麗しさがこのアルバムにはある。

 

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どこまでも優雅

 

曇りのち日差し。9度。

6時に起きる。

朝餉は、ニンジンのグラッセ、薩摩揚げと目玉焼き、味噌汁(人参、玉ねぎ、揚げ、ワカメ)、玄米ご飯、コーヒー、白湯。

女房は出勤日。

10キロをジョグ。菜の花が眩しい。雪化粧の伊吹山。天の川堤の桜は蕾がはち切れんばかり。

昼餉は、オールドファッションド、ミルク。

NHKの囲碁トーナメントは井山裕太選手権者を一力遼八段が中押し勝ちで下し初優勝を決めた。序盤の左辺の攻防は見応えがあった。読みの確かさもあるが、一力八段には気っ風というものを感じる。切れ味の鋭い刃物を見ているようでもある。タイトルを取って、堰を切ったように勝ち続けるやもしれぬ。

夕餉は、ステーキ屋でサラダ、サーロイン。

ウィスキーを求める。バランタインの12年。体調によって、この酒は味がころころ変わる。

Ahmad Jamalのライブはこれと『At the Pershing』に尽きる。’58年にこのスタイルで演っていた。それは、もの凄いことだと思う。いきなり’58年にこのスタイルになったわけではない。脱帽である。

意地悪な見方だが、Miles Davisはトランペットでこのスタイルを真似ていると思う。この節約モードは張り詰めている。張り詰めているからこそ、優雅なのだ。一見すると関連しないようだが、白鳥を見たまえ。見えない水面下の足の動きを。

 

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小さく、銘じること

 

曇り。11度。冷たい風。

8時に起きる。

朝餉は、りんご、ウィンナーソーセージとハム、野菜の卵とじ、味噌汁(人参、豆腐、ネギ)、トースト、アップルティ。

荷造りして米原へ。東海道線ほぼ各駅停車の旅。昼前に家を出て、着いたのは夜10時前。腰が痛む。

ずっと曇りで富士山は見えず。沿線の桜は蕾。ハクモクレンやコブシが満開だ。

昼餉は、戸塚でかき揚げそば。豊橋で求めたずんだ餅、小豆ロールどら焼きを車中で。

雨戸を閉めきっていた家は、まだ冬の空気が残っている。

夕餉は、即席の焼きそば、ずんだ餅、白湯。

週末の車中は午後ずっと混んでいた。家が近づくと、気配は消えて窓ガラスにがらんとした車中が浮かぶ。隣の女房は通信講座のテキストを広げたまま目を閉じている。

クルマなら夕方に着いているが、こうして町々をのろのろ通り過ぎていくのは贈り物なのだ。

手間がかかること、遠回りすること、効率には頼らないこと、自分の躰を使うこと、人後をよしとすること、どちらか選ぶなら人が選ばないほうを--何事もそうであるように。

流れていく景色を眺めるともなしに。

 

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いくばくか、恥じらい

 

晴れ。19度。

7時に起きる。

朝餉は、りんご、ウィンナーソーセージと野菜の卵とじ、味噌汁(人参、かぼちゃ、ほうれん草、豆腐、玉ねぎ、ネギ)、トースト、フルーツティ。

女房はクワイヤの打ち合わせへ。

近所のカフェへ。

昼餉は、菓子パン2個、コーヒー。

昨日からの風が北から冬の残滓を運んでくる。夜に真冬へ戻る。

夕餉は、卵とじの残り、おにぎり3個、ハーブティ。

若かりし頃のハービー・ハンコックといえば『Speak Like a Child』。この瑞々しさを表す言葉を僕は持っていないし、そのことになぜか清々しくなる。

音楽を言葉で表すのは虚しい。

言葉で音楽を賛美したくなるのは、もっと虚しい。

それにしても、このアルバムのハービーはほとばしるような感情をあろうことか恥じらい気味に表出する。その後の彼を思うとき、このアルバムの妖しさはある種の喪失感を伴って迫る。’68年という年を象徴するさまざまな作品の中でも、これはもっとも美しい。脆さや儚さ、それに期せずして抱え込んだ哀しみがアルバム全体を覆っている。

 

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